2015年

12月4日

投稿者 : yoshimura1212 投稿日時: 2015-12-04 00:00:52 (3094 ヒット)

 当大学では博士課程3年生に他の教室の教授の前でプレゼンをさせてアドバイスをもらう制度がある。日程調整が大変だが、部外者の意見を聞けるなかなかいい制度だと思う。今日さる教室の博士課程3年生の審査に出席した。意見を求められて”あれも足りない、これも足りない”と好き勝手言っていたらだんだん学生の顔が曇ってきた。やっとマウスが出来てきた状況で、論文にできるまでにどんだけ実験をしなければならないかは本人が一番分かっているのだろう。時間的に厳しいかもしれない。私には今にも泣き出すのではないかと思われた。こちらも慌てて『あれとこれをやれば道筋が見えてくるだろう』『大丈夫。材料が出来たのだからこれからどんどんデータが出ますよ』と励ます。

 学生はできるだけ頻繁に先生とdiscussionをすべきである。しかし、あまり話したくない気持ちはわかる。先生によいデータを持ってきても往往にして”ポジコンがない””ネガコンがない”とかくさされるし、結果が思わしくないと”実験条件が悪いんじゃないか?”、さらには”腕が悪いんじゃないの?”といわんばかりの態度をとられることがある。本当は先生は経験からよい結果であるほど慎重に裏をとらないと”ぬか喜び”になることをよく知っている。思わしくないときは仮説を疑って別の条件を検討しなければならないことも承知している。だからついついネガティブな態度をとってしまう。本当は”学生と苦楽を分かち合いたい”という気持ちは当然持っているのだ。よいデータが出たら共に喜び、実験がうまくかなかったら共に悩みたい。しかしそれを素直に表現することができないのが『けなされて育った』世代の教授たちの宿命なのだろう。ダメだしではなく『ではどうしたらよいのか?』を具体的に示すことが重要なのだろう。私のような浅学菲才では誠に頼りないが、もっともそこは誰かが答えを用意してくれるわけではない。でもきっと努力は報われる。苦しいときこそ先生といっしょに考えるほうがよい知恵も浮かぶに違いない。

 

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