2018年

6月1日

投稿者 : yoshimura1212 投稿日時: 2018-06-01 23:25:59 (1520 ヒット)

某財団の審査委員を10年やった。生命科学系の助成総額ではおそらく科研費についで大きな助成機関だろう。今日が最後の審査会。志をたて上京して初めて大きな公的な仕事をまかされたのがこの委員だった。昔の自分がそうだったように、よい審査をしてこれから伸びようとする若い芽を育くみたい、それが実現できる格好の仕事を与えられたと思った。しかし最後の挨拶では「10年光陰矢の如し、学成りがたし」と 締めくくらざるを得ない。自身のことを振り返ると、この10年、特に最近一体何をしてきたのだろうかと自問せざるを得ないことが多い。これは自身の至らぬ能力の話なのでしかたない。一方で申請書については多くの先生方が「5(最高点)をつけるのに苦労した。年々申請のレベルが低下しているのではないか」とおっしゃる。最近の日本の論文数や貢献度の低下がそのまま反映されているとも言えなくはないがやはり寂しい気がする。懇談の場では(失礼ながら)長老の先生からは申請も研究者も「小粒なのが多い」と苦言を呈される。自分もそうなので「申し訳ありません」としか言えない。昔のような気骨のある研究者を産み出す仕組みが機能しなくなったのかもしれない。といっても沼某先生ばりのパワハラ指導では今では即解雇は間違いない。昨今ラボ運営者は上からも下からも無理難題を押し付けられて苦悩は増すばかり。この頃昔ながらの自分の価値観では「なんで?」と思うことも多く、ひどく消耗する。一日も早く店じまいしたいとも思う。いやいやまだAMEDの仕事がある。能力と志のある若い人たちを育てるのが自分の役目なのだと言い聞かせ最後の力を振り絞りたい。

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