日本と海外の違い「何かあったらどうすんだ症候群」

投稿日時 2022-08-08 08:09:21 | カテゴリ: TOP

日経の記者が日本と海外の違いを報告している。題して「日本のコロナ対策のちぐはぐ」この中で目を引いたのは「感染が落ち着いている海外から、世界一感染者数を出している日本に入国する際にPCRによる陰性証明を求めるのに合理的な意味があるのか?」との問いに対して、政府関係者は「国民感情が許容する段階にない」という理由で続けているという。要するに日本の対策に論理性や合理性はなく「感情」で決まっているということだ。ため息しか出ない。

イギリスの日常の報告があった。アメリカももう誰も気にしていない。 少し前になるが日本は「何かあったらどうすんだ症候群」にかかっているという指摘があった。為末大氏の提起。未来は予測つかないことが多いし、「何かあったら」を恐れていたらチャレンジもイノベーションもない。多くのひとが賛同したが学校関係だけは違うようだ。いまだに「感染者数が増えたからリモート授業に」「体育大会文化祭中止」「部活禁止」「多人数での飲食禁止」という。クラスターが発生したらどうするんだ!という危惧は致死率3%だった頃は一理あると思うが、医師会までも5類にしろと言っている現状では単に「なにかあったら非難されるじゃないか。誰が責任取るんだ」と言っていることにならないだろうか。なにかあったら俺が責任とったる、くらい言うのが老人の役目だと思うが。これ以上若い人たちに理不尽を押し付けていいのだろうか。論理的であるはずの科学者が変えなくで誰が変える?

医療や命に関わる「安全」に対する「なにかあったらどうすんだ症候群」への危惧に対する為末氏の反論。素晴らしい。それに加えれば、コロナの若者への規制の重大な欠陥は目的が対象者(若者)本人の安全のためではない点。医療逼迫が起きるのはやり方を変えられないからなのに、やりかたを変えずに高齢者の命のためとか医療逼迫するからと論点をすり替えている。さらに問題なのは肝心の「対象者(若者)の経済、精神、将来」の安全には全く考慮がない点。政府は「第7波が収束したら感染法上の取り扱いの変更を検討する」と言っているが、いつものように「検討することを加速することを検討する」で終わるかも。いや預言者の予言ではどっちつかずの2.5類になる。延々とこの症候群が続く。そして子供たち(NHK)のいう通り「コロナで日本はおしまいだね」

医療関係者は「大変だ」「もう限界」と言いながら決して5類にしろとは言わない。東京都医師会のように言っても「治療費は公費で」と必ず付け加える。なぜか?
豊田氏の解説は、なぜ日本が世界一の感染者数を出しているのか?という説明は正しいが、なぜ日本も欧米並にならないのか?という説明はしていない。どこかである思惑があるはず。政治家ならそこに切り込んで欲しいが。。
ついでになぜ医療逼迫を招いているのか?も切り込んで欲しい。東京都のデータしかないが大雑把に言って第6波に比べると感染者数は2倍だが重傷者数は6,7割である。これで医療逼迫が起きるのは重症でない患者が救急車や医療機関に押し寄せているからで、その仕組みを変えないことにはこの逼迫はおさまらない。医療機関は単に悲鳴をあげるのではなくどうしたら改善するのかを筋道をたてて政府に要求するべきで、何処に向かって発しているのかわからない声明文では何もかわらない。


この3年でコロナ対応が原因で婚姻が15万件減少(コロナがなかったと仮定した場合の推計値のおおむね10%程度の減少)だという。出会いから結婚までの期間を考えると本当に減るのはこれからだろう。発表者は「政策決定者は危機が確実に進みつつあることを認識して欲しい」という。若者に不自由を押し付けても何の対策もとってこなかった政治家や厚労省はどう返答するだろうか。

世論調査では2類から5類に下げることに賛成は反対の倍くらいになったと言う。しかしここに来て5類にしたらこんな悲惨なことになる、こんなに金がかかるという抵抗勢力のプロパガンダが顕著になってきた。算数や論理性に欠けることが恥ずかしくないのだろうか。例えば2類に維持した場合と5類にした場合、目の前のことだけではなく、10年,20年先の経済、人口、教育、国民の幸福度に及ぼす費用対効果をきちんと検証して話のできる論者はいないのだろうか。彼らにとっては軽症の人が自宅で寝ていられてはまず儲からない。彼らは海外の状況には全く触れない。今の停滞状況がどれほど日本の未来を損なうのかを語らない。彼らは公費で払われているコロナ医療費のツケを誰が払うのか語らない。彼らにとってはごくわずかの老人が重症化することはどんでもない悪なのだが、しかしそれを救うために何ら工夫のないコロナ対応によって子供や女性の貧困が加速されること、人口減少が起きること、罪もない子供や若者が苦しい思いをしていることを知ろうとも考えようともしない。為末氏の言うようにメディアは「コロナ感染関連死」と「コロナ対応による自死」の数を毎日報道すべき

せめて甲子園のベンチのマスクは不要にすべき。なんのためにPCR検査してんの?応援席の人たちも戸外なんだからいらない。特にチ○○○○○、おっとオヤジの視線ではない。熱中症が心配なのだ。

8/15 終戦記念日。12時に甲子園で球児が黙祷をしていた。太平洋戦争でも国の方針のために多くの若者が犠牲になった。若者たちは国のため、親兄弟のためと信じていた者も多かったことだろう。甲子園のマスクをみているとこの構図は変わっていない気がする。そういう観点から日本人の精神性や同調性を議論する評論家はいないのだろうか。古市氏あたりなんか言って欲しい。

8/21 岸田首相が感染。4回目ワクチン摂取直後とのこと。また微熱と咳で軽症とのこと。言われているように現ワクチンにはBA5やBA2.75には感染防止効果は極めて低いことが一例追加証明された。また65歳以下ならば、3回接種も4回接種も重症化抑制効果(=メモリーT細胞数)は変わらないことは多くの研究が示しているが、そのことも(同程度に軽症であることから)おそらく一例事例が追加されるだろう。ワクチンは逆説的になるが感染しないと効果を発揮しない。ワクチンは感染しないようにするために打つのではない。本来のワクチンの理念はワクチン打って感染して重症化しないこと、さらにそれが多くの人に広まって集団免疫になったときにコントロール可能な感染症に転化すること(例えば最たる例は天然痘)。現在はそのプロセスの最中で、海外の状況をみても過度に恐れることはない(重症化しやすい人は重点的に注意する必要はあるし、医療崩壊を起こさないような手立ては必要)。 同時に、おそらく首相は国民に範を示すために、最大限の注意を払い常にマスクをしていたと思うが、どんなに注意してもオミクロンの感染から逃れることは相当難しいことも証明された。これも既に以前から言われていたように、N95のような高性能マスク以外のマスクはオミクロン感染を予防する効果はそう高くなく、感染した人が飛沫を飛ばさないようにする効果がメイン。だから首相でも誰でも感染の可能性はあり、感染したからといって何も責められることはなく、軽症なら「強い免疫が得られましたね」くらい思っておけばよい。ただ4回目接種直後ということで、免疫学的には抗体がワクチンで作られたスパイクに奪われ効果が減弱する可能性や抗原抗体複合体によるアルツス反応が懸念される。

 

 






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