今日は息つぎすることもできないほど忙しかった(窒息するのか?)。こういう時に限って時間を消費させるメールが来る。〇〇委員会の申請書だ。これが通らないと自分の血液ですら実験に使えない。Webでの申請なのだがこれが複雑怪奇で普通の人なら発狂するレベル(eTaxと同じくらいか)。皆よくこんな難しいシステムでやっていると感心する。要するに何処に何があるのか、たまにしか申請書のページを開かない者にはわからないのだ。よって申請しても不備でダメ出しが帰って来る。何々を書き直してuploadしろという。はいはい、言われた通りに修正して、uploadしようとするがその場所が何処にあるか探すのに一苦労。やっと提出したかと思ったらまたすぐに修正依頼のメールが来た。自分の間違いを認識していないから読んでも意味がわからない。ここでブチ切れて事務局に電話する。説明されているうちに自分のupload先が間違っていたことに気がついたが後には引けない。こっちは気が短んでぃ。こんなんじゃ研究ヤル気を失うぞ。勝手にしろ!(とはさすがに言ってないが)というとなぜか向こうは低姿勢になって「こちらでやっときます」。メールの添付書類で送るようにすれば全く時間を浪費することはなかったのだ。このすばらしい申請システムにいったいいくらかけたのだろう。すでに承認された申請に一行の文言を入れるだけなのに3ヶ月、5,6回の再修正を行った。論文数では中国に追い抜かれるわけだ。憤懣やるかたないが怒っている暇もなく次々と今日中に仕上げるべき案件が出て来る。今日依頼のあった総説もReviewの依頼もすべて断った。今日は厄日かも。
阪大の教授が試験監督中に居眠りいびきをかいて処分されたそうだ。NHKのニュースでもやっていた。職業柄私もよく試験監督するがこれはありうる。学会でなんかではしょっちゅうで周りから顰蹙を買っている。日本の大学教員は疲弊しているのだ。人ごととは思えない。
とうとう出たか。アルコールは幹細胞のDNAを損傷してがんのリスクを高めるという。「酒は百薬の長」というのは間違いで「がんに関しては安全な飲酒量はなどない」そうだ。酒飲みとしては耳が痛い。そのうち「喫煙者」なみに肩身の狭い思いをするのだろうか。
しかし悪い話ばかりではない。西川先生もお酒が好きで酒の良い面を強調した論文をよく紹介している。「酒を飲めばボケずに長生きする:こんな論文を待っていた!」ではアルコール摂取した人の方が認知機能を維持できているのだそうだ。だが私の場合はよく記憶をなくすしなあ。
しかしこの2つを合わせて考えるともしかして酒飲みは認知症になる前に死ぬってことかも。。
西川先生もこの論文をとりあげているがどうも条件設定が問題で脅かしすぎらしい。西川先生は我々の味方で「酒は体に良い」とする論文は褒め、逆に「酒は体に悪い」とする論文は難癖つける傾向がある。誠に頼もしい援軍だ。
連休の日曜日。1日中部屋にこもって○○○の申請書を読みコメントを書く。しかし終わらない。残りの数をみると絶望的な気分になる。そして腹が立ってくる。これはどう考えてもおかしい。というのは今回200件の応募で通るのは10件5%程度である。ということは我々が読んだ8割くらいは合同審査会議で話題にも登らない。審査員が何人いるのか知らないが1件せいぜい3名だろう。つまり5段階評価で5か4を取らない限りその申請は見向きもされないのだ。申請された方もつらいだろうが、苦労して読んだ申請のほとんどは結局打ち捨てられるのだから我々もつらい。無理に2や1をつける意味など全くない。3でも難しいだろう。だったらコメントなど書かずにこれはよいと思った20件程度に◎をつけるだけにすればよい。あとは審査会で議論する。これで我々が費やす時間は半分以下になるだろう。今回のように応募件数がものすごく多く採択数が極端に少ない場合は取り入れても良い方法のように思える。もちろんコメントが応募者の次の申請に役に立つということはあるだろう。ならば一人の審査委員が一冬に丁寧に見れるのはせいぜい50件程度として審査員を倍に増やすべきだ。
それにしてもこの分野はなぜこれほど応募が多いのか?結局この領域は人口も多く良い仕事をしている人が多いにもかかわらず研究費が行き届いていないということだと思う。似たような領域をもっと採択して立ち上げてもいいのではないか。
齢を重ねると頼りになるのは最後は「自分」ではなくて「神様、仏様」。今年は子供の受験やら論文投稿やら「お願い事」満載である。三社参りでは到底足りないと考えて、元旦は実家の近所の名もない社、お地蔵様、それに町の小さな日吉神社に、2日は大渋滞をものともせず本家「太宰府天満宮」に、そして3日は中野の新井薬師と新井天神、それに西町天神に詣って来た。こんだけ拝んだのだからきっと満願成就でしょ。しかしおみくじは中吉や小吉ばかり。「学問」は「怠けず精進せよ」であった。神様はお見通しか?大吉が出るまで引こうかと思ったが、本能寺に奇襲に行く道すがら神社に立ち寄っておみくじをひいたら大凶が出たので大吉が出るまで引き続けたという明智光秀の逸話もあるのでやめにした。それでもご利益欲しい。。
○○○の審査は発狂したくなる。ともかく量が多い。100件近くをすべてコメントを書き入れろという。1件10分でも15時間以上かかる。もとより集中力がない人間なのでやれるのはせいぜい一日10件くらい。この正月でかなりやったと思ったらまだ1/3も出来ていない。しかもどれもよく出来ている。なかなか優劣つけがたい。どれも必死さが伝わってくる。それでも90%くらいは何かダメ出ししなければならないわけでだんだん定型文のようになってくる。これは私だけの問題ではないと思う。審査方法をもう少し検討すべきだろう。
2018年の幕があけた。今年はエピゲノムの資金も最終年で集大成とすべき年。同時に次の目標に向けて新しい一歩を踏み出したい。
今後の免疫関連の研究の動向を占うと、ひとつは「多臓器連関」。腸と精神疾患などの遠隔臓器間の相互作用には液性因子だけではなく身体を動き回って集積できる免疫細胞が欠かせない。臓器を繫ぐ重要な鍵となるだろう。また腫瘍免疫の研究はさらに加速されると思われる。新たなチェックポイント阻害療法は出てくるだろうか。腫瘍免疫を含めて「細胞療法」はますます盛んになるかと思われる。T細胞は「対象を認識」し「その場へ移動して」、「目的を果たす、すなわちがん細胞を殺傷したり過剰な免疫を制御したりできる」と3拍子揃った究極のマイクロマシンだ。我々も新しい視点を提供したいと思ってエピゲノムの支援で安定化制御性T細胞やTscmの研究を行って来た。最近は免疫メタボリズムの研究も盛んだ。免疫老化と加齢についても新展開があるかもしれない(結局自分が今興味をもっていることを羅列しただけじゃないか)。。
一方で次世代シークエンサーを使った遺伝子解析やメタボロームなど自分たちだけではなかなか難しい技術も増えて来た。これからますます共同研究が重要になってくるだろう。AIが仮説をたててくれる時代がそろそろ来るのでは。AIに使われるのではなくうまく使いこなせるとよいが。
うちの教室では久しぶりに大学院生が入ってくる。また卒業する者も数名いる。留学を考えている者もいる。若い人たちが夢を描いて実現できるように手伝いができるように、彼らとともにもうひと頑張りしたい。災害も事故もなく平穏に研究に集中できることを祈りたい。
クリスマスイブだが今日はほとんどの時間を年賀状書きに費やす。やめたくてもやめられない郵政省の巧妙な罠か。それでも「陸王」の最終回を楽しみに家路を急いだ。「下町ロケット」とほぼ同じ。正義、あるいは「人情」は最後に勝つ。最終回は予想された以上にベタな展開で何一つ驚きがない。にも関わらず涙が出て来るほどカタルシスを感じさせるのはやはり原作も演出もすごいのだと思う。ここは「あきらめなければ必ず勝てる」「どんな時にも勝利を信じる」という最もシンプルなメッセージを素直に受け止めよう。。
「陸王」に「下町ロケット」ほどの入れ込みがわかないのは何故か考えていた。おそらく「下町」では技術系の開発の話にかなりウエイトが置かれていたのに対して「陸王」ではそっちはかなり希薄だったからだろう。マラソンで勝って注文が殺到したのはいいが、完全に壊れたはずのシルクレイ製造機はすぐに造れたんだろうか?飯山が半生をかけたというのに。理系人間にはそんなところが引っかかる。
それにしても最後に「3ヶ月間視聴ありがとうございました」というテロップが出て来たときは衝撃を受けた。え、もう3ヶ月もたったの?時間が経つのが速すぎる。今年は後半忙しかったもんなあ。今週は懇親会や忘年会が続く。。
学生時代にお世話になった山岡育英会に寄稿しました。
12/16 高知で開かれている皮膚科研究学会のイブニングセミナーで講演する。昨晩「仙台のお酒があるので少しだけ」と言って飲んでまた記憶をなくす。なぜか昨日や一昨日のブログに書き込みをしたらしいが自分が書いた記憶がない。「いよいよ乗っ取られたか!?」
お昼12時頃に高知のホテルに着く。しかし予約に名前がないと言う。どうも担当した会社のひとが自分の名前で予約していたということらしい。気にせずに荷物を預けて歩いて5分ほどの高知城に行く。天守閣は意外と高く街を一望できる。帰りに博物館に行ったがお目当ての維新や龍馬関係の資料は少なく残念。しかも龍馬記念館も改装のために閉館中だそうだ。いかに冬の観光閑古鳥の季節とはいえ、どうするんだぜよ。
お昼、ご当地ラーメン「鍋焼きラーメン」の店に行く。鍋焼きラーメンは須崎市のB級グルメで有名なのだが高知城近くの「あきちゃん」は市職員だった店主が脱サラしてはじめたという店。名前がおなじの「あき」なのでこれは行かないと、ということで「あきちゃん」に行く。いやこれはウマイ。あったまる。あっさり系のスープがいい。しかし「中」を頼んだからかまだお腹にすき間がありそうだ。そこで学会会場近くのご当地ラメーンとして知る人には有名らしい「まんしゅうジャン麺」にまで足を伸ばす。さすがに普通盛りは避けてハーフサイズを頼んだ。それでも十分なボリュームだ。要するに「マーボ麺」だ。ピリリとうまい。日本の未来は辛いぜよ。
皮膚科研究学会はランチョンもイブニングもすべて英語である。免疫学会が「ランチョンは日本語でも良い」というのは甘い。相当にストイックである。でもそのおかげで中国や韓国からかなり来てくれて参加者は1000名を超えると言う。やっぱり覚悟の問題か。「なんちゃって」は来なくても海外から集めればよいというのはひとつの見識だろう。でも講演するほうは大変。もともと下手な英語で無理にcAMPでinnateとTregをまとめた。最後はかなりごちゃごちゃして話してる自分ですら「こんな面倒くさいことになってどうしよう」と思ったほどだった。まとめの図を急遽入れたのだがわかっていただけただろうか。。。要するに「cAMPが上がれば炎症は抑制される。下げれば炎症は強く(Tregは弱く)なり抗腫瘍効果はあがる」ということが言いたいだけなのだ。いずれにしろ皮膚科のひとたちは筋金が入っている。
その晩は「懇親会」に出たが人が一杯。やはり「地酒」コーナーがあって10種ほど並べてあった。人が多くてとても全部は飲めなくて3つくらいでやめて早々に「ひろめ市場」に行ってカツオのたたきを買って帰った。外を歩いている人は少なかったのにこの市場の中は呑んべえの活気で溢れていた。高知、なかなか熱いぜよ。
仙台の2日目に某agentから「今日が締め切りなのにまだ評価書が提出されていない」と催促のメール。完全に忘れていたし大きな書類なので持ち歩けない。しょうがない。3日目はパスさせてもらって8時の新幹線で大学に戻って仕上げることにした。
ラボに戻ると重くて大きな小包が置いてあったので「おお!お歳暮の酒か!」と喜んだらこちらも某◯◯◯からの「不幸の手紙」ならぬ「不幸の小包」でした。およそ100件。Nスペの石井先生と同じく今年も正月休みなしか。。。
一度でいいから「ちゃぶ台返し」やってみたい。「たいがいにしろよ」とか言ってみたいよね。せめて審査員は倍にして謝礼もアメリカ並みにして欲しい。
今日の朝日新聞に『飲酒翌日「二軒目どこへ?」それって依存症予備軍かも』という記事があった。完全に身につまされた。自分もよく記憶をなくす。昨日のXX学会の懇親会では地酒12種類の飲み比べのコーナーがあって全部試飲してしまった。大会長など引き受けられないほど余裕がなくてストレスまみれなのだ。やはり○○チュウハイマークラブから抜けるのは難しい。。。
どうも昨晩酔ってドンデモな書き込みをしたらしい。朝気がついて削除した。記憶がない。だいぶ重症のようだ。
12/12 仙台は朝から雪だった。今日はXX学会の評議員会。私は次次回の大会長候補の3名のうちの一人に選ばれていることを知った。もちろん候補にあげることについての打診は一切ない。もとより大会長などという重責を担える器でないことは自分が一番よく知っている。そこで理事長から「候補者から一言あれば」と言われてすかさず立ち上がり「私は教務等の学内業務が忙しすぎて受けたとしても十分な活動ができない。辞退させていただきたい。」と発言した。本当のことをストレートに述べたがこれは前代未聞のことだったらしい。多くの方は私の決死の訴えを理解して下さって今回の大会長は免れた。しかし予想された通り「けしからん」という考えのかたもおられたようで10数票入っていた。まあだいたい誰か想像できるけどね。「できないものはできない」という当たり前のことを正当に主張する機会を与えられるのは民主主義のこの世のでは当然の権利であるはずだ。学会だけが「指名されたら受けるのが当たり前」という不文律はおかしくないだろうか。推薦されたのに辞退するって我がままなのでは?という声もあろうが、私はこれまでプログラム委員、広報委員長、各種選考委員と普通の会員に比べるとかなりの時間をXX学会のために費やしてきたと思う。その自分がこれ以上無理と言っているのだ。過労死したら学会が労災認定してくれるのだろうか。
後ろの方で「それでも選ばれたらどうする?」と言われたので「退会します」と答えると「お前はXX学会の貴の岩か!?」となぜか大爆笑だった。その晩の各グループの飲み会に格好の話題を提供したような気がする。
昨晩更新しようとしたが力尽きて寝てしまった。昔の留学仲間との同窓会で飲みすぎたからだ。来週は仙台、高知、名古屋と学会や会合が続く。気力体力胃力が試される時期だ。
今回の神戸での分子生物学会、生化学会合同大会はCombio2017と銘打って20以上の生命科学系の学会が協賛し、その学会主催のシンポジウムが十数個開かれている。なのでやたら人が多い。またセッションの数も半端ではない。神戸の国際会議、ホテル、展示場など「市民広場駅」周辺をハジからハジまで総動員である。実際に行ってみると何処に行って何を聴いたらよいのかさっぱりわからない。「大きいことはいいことだ」というのが昔あったが、これはちょっとやりすぎなんじゃないかとブーたれる。私は免疫学会から「お前やれ」と言われたのでシンポジウムを組織したのだった(忙しくて共同座長を選ぶのを忘れた)。分生、生化が中心なので転写因子や分化のことをやっておられる先生にお話を依頼した。免疫の話はただでさえ面倒なのにさらに転写因子やエピゲノムの話である。12/7(木曜日)午前9時。聴衆が少なかったらどうしようと不安ではあったがトップバッターのK先生の時には200席の会場がほぼ埋まっていたので安堵した。終了後お昼を食べようとK先生とレストランを探したが当然何処も長蛇の列。延々と歩いてやっと見つけた。K先生はなんと昼間からXXXを注文。おお、K先生もアルチュー○○○○クラブの同士だったか!私もうれしくなって禁断の液体に手を出してしまった。ひとりでこんだけのシンポジウムを切り回したのだから褒美くらいあげてもいいだろう。
前日夜神戸に入った。ご当地ラーメンシリーズとして「神戸牛ラーメン」をいただいた。これはうまい!写真は「うま」ではなく「牛」のようだが体つきは牛らしくない。
ラボに戻ったら教室の皆がケーキを用意してくれていた。何か一言と言われたので「来年も皆さんと祝えるように生き延びたい」。
金曜日、九州のM大医学部の2年生に2コマ講義。週末を挟んで月曜日にK大学歯学部で同じ講義を行った。一こま目はサイトカイン全般を90分で要領よくまとめたもの。かなりすっきりしていて我ながら完成版に近いと思えるものだ。昨年と比べて面倒と思われがちな細胞内シグナル伝達等は大幅に省いて時間を短縮している。どちらの大学でも一応免疫学の基礎は学んでいるので一度は聞いたことがある話。だからかすこぶる評判がよく「これまで習ったことが整理できた」と両方の学生さんに評価してもらえた。しかし2コマ目の「脳梗塞をモデルにした組織損傷後の炎症の話」は明暗分かれた。この講義は前半のサイトカインやT細胞の知識が実際の研究にどう生かされているか紹介し研究に興味をもってもらおうという趣旨だ。M大学は医学部生だからなのだろうか、食いつきがいい。あまり寝ているものはいない。相当高度な内容だったのではないと思うがアルツハイマー病との対比などおそらく初めて聞く話なのだろう、それなりに熱心に聞いてくれたと思う。しかし歯学部では惨敗だったように思う。半分くらい寝ている。起きている者も顔色を伺うとかなり退屈げだ。やっぱりテーマが歯学部向けではなかったか。この講義では出席カードを途中先生が回収するのだが、ひとりの女子学生が遅れて持って来た。先生に「爆睡しとったやろ」と言われて受け取ってもらえずしょげていた。「ゴメン。私のテーマの選び方が悪かった。許して。」と心の中で詫びる。来年は興味を持ってもらえるような内容に変えたい。
25日午前、眼科のシンポジウムに呼ばれて京都で講演を行った。海外からの招待演者もいるので発表はすべて英語。普段聞き慣れない眼科の用語にかなり戸惑う。おそらく自分の話も臨床系の学会の先生にとってはなかなか理解しがたいのだろうと納得?する。なにはともあれこの時期の京都である。最も紅葉が美しく最も混雑するシーズンである。会場が南禅寺近くのホテルだったのでシンポジウム終了後、蹴上-南禅寺-永観堂-哲学の道-銀閣寺という定番コースを歩くつもりだった。しかしともかく人が多い。銀閣寺までたどり着けず若王子あたりでギブアップ。永観堂はとくに混雑がひどい。さらに拝観料をこの時期だけ1000円に値上げしている。あこぎではないか?まあ京都では泣く子と○○には逆らえないのでしかたないか。永観堂といえば「もみじ」ばかりではなく「みかえり阿弥陀如来像」で有名である。これは「永観おそし」と我々を叱咤激励しつつそれでも待って下さっているありがたい仏様なのだ。もちろん私もお賽銭をあげて「論文が通りますように」とお願いして来た。願掛けのために一心に祈っていると横でおばはんが「振り返っているというより顔を背けてるみたいやな」。言われてみればそう見えなくもないが。。。ばちがあたるで!
金沢の疲れを引きずりながらも(齢なのかかなりきている)8-10日と韓国ソウルで開かれた韓国免疫学会の国際シンポジウムに参加する。1000人以上の参加だそうで、会場は若い人たちの熱気に包まれていた。以前も感じたことだが韓国の科学は今すごい勢いで上昇機運に乗っているような気がする。ポスターの採点を依頼されたのだが、なかにはNIとかImmunityに出してもいいような相当のレベルのものが含まれていた。
9日は呼んでくれたDr.Leeの大学( Sogang University。会場の大学はSejong大学で別。よく似ている)で講演を行った。最も驚いたのは学生の礼儀ただしさ。エレベータで乗り合わせた学生は先に降りる時に私と先生に頭を下げてでていく。講演は学部学生や大学院生が50名くらいきていたが多くは免疫以外の学生だそうだ。おそらく単位のために来ている学生も多いだろう。なじみのない話だったと思うが、ひとりも寝る者がいない。私の講演が面白くて、ということではないだろう。やはり儒教の国なのか。目上のひとを大事にする文化なのだろう。うちの学生にも見せたかった。
11日は慶應医学会シンポジウムで午後出ずっぱり。12日日曜日は免疫学会「きしもと」プロジェクトの評価会。全く休みがない。頭が働かない。それに比べると特に臨床系の先生方はタフだ。海外0泊3日でも平気なように見える。自分は向いていないのかもしれない。
今日のNHKスペシャル「人体」第2集”脂肪と筋肉が命を守る”。脂肪組織の中をマクロファージが動き回る様子はすごいなと思わせる(大阪大学の石井先生のところで撮影されたものだろう)。免疫とメタボは大きな研究課題のひとつだろう。ただ最後の方に出て来た最新の説は違和感があった。運動するとなぜメタボや動脈硬化によいか?それは運動すると筋肉からIL-6が分泌されて免疫細胞(おそらくマクロファージ)の活性化を抑えるからだ、という。この論文だろうか?うーん、ちょっと納得できないな。IL-6が高いと確かに痩せるかもしれない(カゼをひいたら食欲もなくなり痩せるようなもの)。逆にApoE欠損マウスの動脈硬化はIL-6欠損によってさらにひどくなる。しかしそれは血中LDLレベルが上昇するためであってIL-6が免疫細胞の暴走を抑える(マクロファージの活性化を抑える)というのと違うんじゃないだろうか。抗炎症効果はIL-6よりはIL-10のほうが強い。EJCIの論文でも運動でIL-10が上がるとしている。なぜIL-6が抗炎症の主因と言えるのかはよくわからない。またIL-6阻害剤であるアクテムラを処方されているリウマチ患者さんではLDL値が高くなる傾向はあるものの、心血管障害の上昇は認められていない。しかし代謝は複雑で難しい。ちゃんと調べてみないと迂闊なことは言えない。
運動すればメタボは改善する。一方で60分以上の昼寝の習慣があるとメタボや2型糖尿病になりやすいという疫学調査結果もある。メカニズムは不明ながら〇〇な女房を持つ中年オヤジは皆知ってた?
3日目は自分が司会のワークショップ。90分で9人に発表してもらったが、通常遅れ気味で90分で終わることはない。今回も10分程度オーバーした。ところが次のセッションのスタートまで10分の余裕しかない。いくらなんでもこれは短すぎた。いったい誰がこんなスケジュールにしたのだろうと憤慨した。それはお前だろう、というオチですが。
4日目。午前のシンポジウムは最先端の話が聞けて素晴らしかった。特にD. LittmanのIL-17と神経系(自閉症)の話はまだマウスレベレとはいえ今後の方向性を示唆しているように思う。昨日は「代謝」が盛況だった。常在菌と代謝。これはここしばらく外せないトレンドだろう。
バンケットでは素晴らしい演者を選んだとお褒めの言葉をたくさんのかたからいただいた。big nameを闇雲に集めたという批判はあるかもしれないが、たぶんシンポジウムの講演者を見て参加するかどうかを決めた人も多いと思う。よくこれだけの演者を集めた。そこだけは自分を褒めてあげたいと思う。それにしても今回の学会運営支援会社(「株式会社コングレ」ではありません!)は期待はずれだった。言いたくはないが頭に来たことは多い。初日のregistrationの場所がどこにも表示されていない。ホテルの方に来て迷っている人も多いので私が立って場所を説明した。学会支援会社に文句をいうと『HPに出しています』。主催者の私でも見つけられないところに掲示して何の役に立つというのだろう?keynoteレクチャーが始まるのにRegistartionにはまだ長蛇の列。Registrationはあとでよいので先に会場に行ってくれと叫んだ。私はもう2度と使うことはないだろうが、もし次回学会を開催される方がおられたらリストからはずすべき学会運営支援会社はお教えできると思う。気配りの出来る、経験豊富ないい学会運営サポート会社(担当者)に出会えるかどうかで学会を開催する側の負担は相当違う。
5日目。さすがに人が少なくなった。それでも腫瘍免疫のセッションはかなり盛り上がったと思う。Carl JuneのCAR-T療法の話はものすごくパワフルだった。
事務局の不備もあってかなり疲れた。私自身はもう二度と頼まれても学会開催に関与しない。これだけは断言できる。その昔、W先生が会長の時に福岡で副会長として日本X疫学会を開いた。このときの疲労感も今も忘れられない。ただしこのときは現在のX疫学会の参加者数の3倍以上と言う記録に残る人数を集めた。今と違って教室員は総動員だった。終わったあとで慰労会を盛大にやったことはなつかしいが。。。もし日本X疫学会が私を会頭に推したら私は迷わず退会するだろう。要するに気配りに疲れる小心者には向いてないのだ。必ず無理をする。でも無理に寿命を縮めることはないのだ。なので関係者の皆さんは絶対に(次期大会長などを)私に投票しないように。そういう資質は全然ないのです。
4日目のバンケットは夜8:30には終了。welcome receptionのように料理が足りなかったら困ると思って自身はほとんど手をつけなかった。おなかがすいた。ご当地ラーメンがマイブームなので金沢駅付近の「麵屋大河」に行く。夜10時なのに行列ができている。味噌ラーメンの店だ。待てない人間なので行列を見るとすぐに店を変えるたちなのだが、きっとうまいに違いないと待つことにする。20分ほど待たされた。辛めの赤味噌ラーメンを頼む。辛目といっても普段辛口ばかり食べている者にとっては別段驚くべき辛さではない。しかしうわさに違わずうまかった。狭いので待たなければいけないがおすすめです。
小松空港で飛行機を待っていると札幌から来られているT先生をみかけた。こちらは早々にビールや酒を飲んですでにほろ酔い、いや酩酊状態。T先生はパソコンに向かって一心に仕事をされている。飛行機に乗ってこちらは爆睡していたのだが目を覚ましてもT先生はまだ仕事をしていた。全く頭が下がるし自分が恥ずかしくなった(と言ってもすでに出来上がっているのでどうしようもないが。。)。
10/29-11/2金沢で国際サイトカイン学会が開かれている。私はプログラム委員長として本学会の開催に深く関与して来た。一番の懸念は人が集まらずに大赤字になったらどうしようということだ。赤字は組織委員が背負わなければならないとなっている。だからといって黒字なったらその分をもらえる訳でもない。なんとも割の合わない仕事だが長年この世界にいると回ってくる町内会の役員のようなものだ。幸い700名以上のregistrationがあったので借金を背負う心配はなさそうだ。しかし一日目のopening lectureでは750席用意したのに立ち見が出ているし、welcome receptionでは用意した料理はあっという間に無くなってしまった。逆に予想以上に人が集まってこの先どうなるのか不安になった。ところが一夜明けて午前のシンポジウムでは700席程度の邦楽堂の席が8割くらいしか埋まっていない。まともに全員来たら入りきれない計算だった。が、国際学会の常であろうか、観光にでも行っている人も多いのかもしれないと胸を撫で下ろす。逆に午後のワークショップでは人が少なくて盛り上がりが心配になる。全く気が休まらない。invited speakerも70名くらいいる。これだけいると様々な事情で来れない人も必ず出てくる。台風で遅れたひともいた(琵琶湖付近で電車が止まったり、飛行機が遅れたりしたらしい)。北朝鮮からミサイルが来るかもしれないと言われてキャンセルもされた。そのつど手当をするのが私の仕事だ。今回は朝8時半のシンポジウムから夜7-9時のポスターセッションまでびっしりスケジュールが詰まっている。ちょっと詰め込み過ぎたかもしれない。今日はイブニングセッションがあったが疲れ果てたのでパスしてホテルで休んだ。まだ実質一日目。あと3日もあるのだ。無事東京に帰れることを今から願っている。
午前の会場は邦楽堂。枡席(桟敷席?)や提灯があって日本的で珍しいと好評だったがコーヒーコーナーが遠すぎた。係に言ったら次の日から会場のすぐそばに変えてくれた。やってみないとわからないことも多いがそれでもこのくらいは気を利かせて欲しい。
血液内科から派遣されていた笠原君の論文が先ほどacceptされた。
Generation of alloantigen-specific induced-Treg stabilized by vitamin C treatment and its application for prevention of acute graft versus host disease model
笠原君はiTregを移入することで骨髄移植の際のGVHDを緩和できないか、という課題に取り組んで来た。あまりに熱心なので1年余計にかかったが、いつものように内容的にはIIにはもったいないと言える。様々な理由でIIがどんどん増えていくのだが、別に雑誌のIFで内容が決まるわけではない(と胸を張りたい)。今回はreviseにかなりの時間とエネルギーを注いでくれた。私ももちろん言い続けたのだが、reviewerから「ヒトのデータは必要」と言われたのでようやっとやってくれたものだ。しかし実際にはrevise実験で得られたヒトT細胞のデータがこの論文で最も価値があるものかもしれない。
笠原君は安定な抗原特異的iTreg(この場合はアロ抗原)を作るために様々な条件検討を行った。遺伝子導入も行ったが、これまで試験管内でFoxp3を誘導すると言われていた遺伝子でも個体に移入してGVHDを起こさせるとことごとくFoxp3がなくなっていった。しかしビタミンCをiTreg誘導時に加えるとFoxp3の発現が安定化し、個体に戻してもほとんどFoxp3が減らない”真性”Tregができたのだった。この安定化iTregは見事にGVHDを抑制してくれた。抗原特異的iTregでGVHDのような強烈な炎症を抑制できたという報告はかなり少ない。その点では価値はあるが、なにせビタミンC添加によってFoxp3遺伝子のCNS2という領域のDNA脱メチル化が促進されてFoxp3の発現が安定化することはすでに報告されている。これだけでは『ものすごく驚くべきこと』というわけではない。
しかしヒトではかなり様相が違っている。ヒトT細胞ではFoxp3は割と容易に誘導されて不安定であると言われている。しかしビタミンCを加えるとFoxp3の発現が一段と高い”真性”iTregが出現したのだった。DNA脱メチル化も部分的にではあるが進んでいる。この”真性”iTregを分離するためのマーカーはまだ見つかっていないがビタミンCを活用することできっとそんなマーカーも見つかるだろう。抗原特異的”真性”iTregを分離できれば様々な免疫疾患に応用できるに違いない。また一歩免疫リプログラミングに近づいたような気がする。笠原君はrevise実験を通じて『他人の言うことに耳を傾ける』ことの重要性を認識したことだろう(と思いたい)。ぜひ胸を張って臨床に戻って、この経験を生かしてもらいたいものだ。
この頃年をとったせいか怒りっぽくなった。よくキレる。
もう5年ほど愛用しているMacBookAirの電源がやばい。充電しても2,3時間しか持たない。システムレポートを見ると電源状況は「修理交換」が出ている。このMacBookAirは何処に行くにも一緒で海外にも何度も連れて行ったもので愛着がありまだ買い換えるには惜しい。そこでバッテリーだけを入れ替えることにした。昔のごついMacBookなら何度も開けてHDの交換などはやったことがあるが最近の緻密なBookを開ける勇気が出ない。チャットで表参道店への持ち込みを打診。費用(13000円程度)を聞いて予約を依頼したところ、数日先まで予約がいっぱいだという。そこでもっと近い修理可能な正規代理店を聞いたところ新宿のビックカメラを教えてもらい、自分で予約した。もちろん連絡欄に電池交換と書いて。昨日ビックカメラに行ったところ、電池の取り寄せに1週間くらいかかるうえにMacBookAirはその間預からないといけない(つまり1週間使えない)、さらに代理店なので費用も2万円以上かかると言われた。そんな話全く聞いてない。すごすごと帰ったが無性に腹が立った。なぜアドバイザーはそのことを言わなかったのか?知らなかったとしたらなんたる知識不足。『テクニカルなことだけでなく顧客にとって重要な修理費用や期間のこと、直営店と代理店の違いなど営業的に知っておくべきだろう。こんなひどい対応ははじめて経験した。これまでずっとApple製品を愛用してきたがこのアドバイザーの対応をみるとAppleの落日を見る思いだ』と送られてきたAppleチャットサポートアンケートに書いて送ってやった。iPhone8とiPhoneXを同時に発表するとか最近のAppleのやることは理解できない。いやまあAppleは理解できないことは数多くやってきたような気もするが。。。それでも信者はついてきた。iPhone8は案の定売れていないそうだが当然予想できたはずだ。
というわけで意を決してAmazonでバッテリーを購入(翌日着)し、MacBookAirを開けてバッテリー交換を行なった。やってみればネジ(かなり小さい)がなくならないように注意する以外たいしたことはない。10分とかからずしかも半額以下で済んだ。だいぶ自信がついた。便利屋稼業の請負項目にMacの修理も入れられる気がしてきた。
3時くらいまで市ヶ谷で会議。台風が近づいているので今日は早く帰ることにしよう。
カンブリア宮殿をよく見ている。実は録画までして欠かさず見ている。大手の社長も出て来るが異色と言われる経営者の話はやはり面白い。今日は自然な風の扇風機やスチームトースターで有名なバルミューダ社長の寺尾玄。マザーハウスの山口絵里子もすごかったがこちらも負けていない。山口絵里子は中学時代は不良。工業高校に入って女子柔道で全国7位にまで上り詰め、その後大学進学目指して猛勉強。当時早稲田と慶應しか大学名を知らなかったのでこの二つを受けて慶應に進学したのだそうだ。まさにビリギャルを地で行くようなものだ。寺尾玄は高校中退。なんとロックバンドを結成して夢を追っていた。しかし10年で夢破れアルバイト生活に。そこで偶然見た欧州の工業デザインに魅せられて自分でも金属でものを作ってみたくなったのだそうだ。普通思っただけでなかなか実行できないし実行しても誰も協力してくれない。しかし寺尾はそこを情熱で乗り切って協力者を得た。「開拓精神」があると評された。そうか「開拓」か。やっぱり悪魔のささやきでも「開拓」に挑戦すべきなんだと妙に納得した。
寺尾さんの言葉が面白かった。もともと「音楽」をやっていたひとだ。「楽」は「たのしい」という意味だろうが「らく」とも読める。しかし自分のなかでは「らく」と「たのしい」は両立しない。「たのしむ」ためには「苦しいこと」に挑戦して乗り越えないと「楽しさ」は感じられないそうだ。高価になっても細部まで妥協しないし人の真似はしない。どこかスティーブジョブスを彷彿とさせるひとだった。
「バルミューダ」。魔の海域バミューダ・トライアングルから来ているのかと思ったら魚の「バラクーダ」あたりから来ているらしい。
今年は挑戦研究と新領域の公募に出そうと張り切って2つ書いていた。昨年から「萌芽研究」は「挑戦研究」という題目に変わって「開拓」と「萌芽」2種類になっている。「開拓」は総額2千万円までとかなりデカイ。新領域も久々の免疫系がある。これも狭き門であるが額が大きい。とにかく額が大きければ力も入る。どちらかひとつでも当たれば十分ありがたい。申請書を一通り書き上げてまず「開拓」のほうのWeb登録を済ませんた。いつも通りで問題はない。ところが2つ目の新領域公募の申請書をアップロードしようとするとエラーで進めない。何度やってもダメなので上のほうをよくみると「重複申請の制限により申請できません」とあるではないか。なんたること!あわてて募集要項を見直すと「萌芽」であれば「新領域公募」に出せるが、「開拓」では出せないことになっている。少しは大目に見て欲しいと愚痴っても無理なものは無理。せっかく書いたしやっぱり「萌芽」にしようか3日くらい迷った。しかし「挑戦研究」なんだから守りに入ってはいかん、果敢に挑戦すべしと『天の声』がしたのでそのまま「開拓」一本に絞ることにした。すごい博打だ。もともとじゃんけんすら弱い自分である。『悪魔のささやき』だったのかもしれない。それにしても科研費説明会でさんざん「重複制限に注意せよ」と声を大きくしていたのに自分が引っかかるとは情けない。昔は紙媒体だったので出した後判明すると審査にも回らなかった。今はWeb申請段階で受け付けてくれないのでこれはこれですごく親切ではある。でも『それさあ。。。早く言ってよ~』
10,11日と横浜みなとみらいで某製薬会社が主催の炎症,NASHを中心とした研究会があった。肝臓のことはあまりよく知らないし代謝のことが出て来ると複雑でなかなか難しい。そのなかで金沢大学の篁(たかむら)先生の話は非常に面白かった。セレンは抗酸化反応などに必須元素として知られているが毒性が強いことでも知られる。先生の話ではセレノシステインを含む血中タンパク質セレノプロチンPの欠損マウスに運動させたところ運動能力の上昇やミトコンドリアの増加が認められ、運動トレーニングの効果が増強されるというのだ。少し前にNature Medicineに報告された。最近筋肉由来のミオカインが代謝や炎症、神経症状改善にかかわるといった話が盛ん(確かNHKでもやっていた)だが、これは逆で肝臓からのヘパトカインであるセレノプロテインPが筋肉の能力を制限するということらしい。またインスリン抵抗性も(なくなると)改善するそうだ。なので運動の効果をあげるにはセレノプロテインPの産生を抑えるか、その受容体LRP1を阻害すればいいらしい。セレノプロテインPの血中濃度が高い人は運動しても効果がイマイチなのだそうだ。それは私のことかと一瞬思ったが、もっともほとんど運動していないので何の効果も期待できないか。しかしなぜ我々の体ははわざわざ運動の効果を打ち消すような分子を作っているのだろうか?実はセレノプロテインPの本来の機能は抗酸化作用と言われているがあまりよくわかっていないらしい。それにしても篁先生の苗字は読むことが難しい。最初は全くわからなかった。
10日は科研費のことが気になって大学と横浜を往復した。電車に乗っているだけだがくたびれる。どうも長時間の通勤には向いてないようだ。
先週学会などでベルギー(レーベン)とスペイン(バルセロナ)に行ってきた。途中パリに寄ってルーブル美術館に行った。なぜかというと正月にNHKで「2時間でまわるルーブル美術館」というのをやっていて機会があれば挑戦したいと思っていたからだった。20作品ほどをみて回る予定だったが、実際には3時間くらいあったにもかかわらず10個しかみれなかった。やはり広すぎて何処に展示してあるのかさっぱりわからないのだ。準備が足りなかったと言えばそれまでだが。ルーブル自体が出しているアプリもあるのだが作品の説明はしてくれても場所がどこかはよくわからない。そもそも自分が何処にいるのかすらわからないのだ。これは館内の地図上に主要展示品の位置を示してさらにGPSで自分の位置を示すことができるアプリをぜひ誰か開発してほしい(調べるとすでにあるような気がする)。
初めて訪れたサクラダ・ファミリアには圧倒された。しかし最後の日、バルセロナでは独立運動の関連でストライキが行われ空港まで行けるか心配だった。なんとか帰ってこれたもののかなり疲れた。時差ボケがひどくて、夜はしっかり寝れているものの昼間は朦朧としている。要するに一日中寝ている状態。科研費の締め切りが近い。うちは10日が仮提出。「科研費がかけん」といつものつまらないだじゃれを言いながら唸っている。
SFCとは慶應の湘南藤沢キャンパス。初めて訪れた。医薬看護の医療系3学部合同の中期教育プログラムのファシリテーターを仰せつかったのだ。学生は講演を聞いてそれに関するテーマで9名程度のグループに別れて議論をし、最後に提言のような「まとめ」を発表する。ファシリテーターはその介助役だ。SFCキャンパスは噂に聞いてはいたが新しくでモダンだ。建物の名前もKをカッパとかIをイオタとか呼んでハイカラである。緑の中にあって(学生には相当不便そうだが)勉強にはいい環境のように思える。しかし朝9時に家を出て着いたのは11時過ぎ。特に湘南台駅から先はバスしかなくこれは授業に出るのに相当の覚悟が要りそうだ。帰りは土曜日なのに渋滞だった。ファシリテーターの役目も初めてだった。どんなものか経験して来年からはスタッフにまかせようと思っていたが、結局ボランティアのようなものなので教員にとって得るものはほとんど無い。学生らも最近の若い人は自己表現がうまいので口を出さなくてもよい。実際には学生らがすべて司会も発表もやるので私はただ見ているだけだった。終わったのが5時ごろでラボに戻ったら7時半。移動だけで疲れた。こんな苦役、もといボランティア活動は(役たたずの)教授(私)にまかせて若いスタッフには実験しててもらったほうがいいような気がする。
課題は「患者中心の医療を実現するために医療チームはどうすればよいか」。講師はTK大の先生で、ご自身の母親を看取られた話をされて議論の糸口を提供された。80歳の母親が末期のすい臓がんと診断された。すぐにネットなどで調べて「よい」と言われるものは「あやしい免疫療法」から温熱療法まで手当たり次第やったそうだ。主治医の若い女医さんは標準治療を行いながらも「なんでもどんどんやってください」というスタンスだったそうだ。自宅で通院しながらの治療だった。しかし最後はさすがに入院せざるを得なくなったが、主治医が代わって入院拒否されたのだと言う。「そんな勝手な治療をさんざんやっておいて今更もとの病院に入院させろというのは虫が良すぎないか?」ということらしい。それでも別の科の医師などが助けてくれて入院できたといった話。余命半年と言われたところを1年3ヶ月くらい生きられた。さすが文化人類学者だ。普通ならなんてことはない話なのにすごい感動的な話に聞こえる。そしてはじめの若い女医さんは立派な医師で次の医師はとんでもない意地悪なやつ、に聞こえる。うちの班の議論ではそのことに問題を絞って議論していた。かなり抽象的でぼんやりした課題だったのに、うまく重要な点を引き出して議論しているな、と感心していたが、いかんせん知識がない。患者と共に歩む(「横並び」と表現していたが、ちょっと意味が違うような気がするが教員は黙っていないといけない)という当たり障りのない結論になってしまった。なんか違うんだけどと思って聞いていたが口は挟まない。あとで別の医師のファシリテーターと話すと一様に「はじめの医師はおかしい。2番目が普通」と言われる。患者が勝手な民間療法やって標準治療の効きが悪くなったり思わぬ副作用が出たらどうするんだ、ということらしい。また最近でも話題になったプラセンタや臍帯血注射など本当に「怪しい」高額医療がまかり通っていることも問題だ。講演自体が「患者の好きにさせる方がいい医者、よい医療チーム」という本来とは違ったメッセージを学生に与えたのではないか、と言われていたが全く同感だった。
この教育、デベート力を鍛えるのにはいいのかもしれないがどの程度学生のためになっているんだろうか。別の教員は「楽しそうにワイワイやってたのでいいんじゃないですか。自分たちの頃にはなかったのでうらやましい」という評価もあったが。。。
9/20 千里中央のライフサイエンスビルで「千里ライフサイエンス振興財団」主催の講演会に呼ばれる。この講演会、大阪大学医学部の先生がコーディネーターをされているせいか「新適塾」と銘打たれている。適塾は幕末の頃、緒方洪庵が開いた蘭学塾で、大阪大学医学部および慶應義塾大学の源流のひとつとされる。うちの「免疫適塾」と張り合っているわけだ(こちらは知る人以外知らないだろうけど)。100名くらいの参加者でちょっと時間オーバーしてしまった。講演会のあとは1時間程度の懇親会なのだが質問やら挨拶やらで多くの人が列を作っている。なんて熱心なんだ。企業の方が多いせいかもしれないが、こんな懇親会は初めてだった。結局料理には全く手をつけられず。終わったころはかなりヘトヘトになった。
大阪での講演である。途中何か「笑い」をとらないと評価が下がるかもしれへん、ということで坂口先生のTregの説明のところで「私も毎年10月初めはNHKや新聞社に連絡がつく場所にいるようにと念をおされる。もちろん私が受賞するかもしれないというわけではなく、坂口先生が受賞した時にコメントくれということらしい」というとかすかに笑いが漏れた。同じ話題を大学院講義で英語でやったら意味が通じなかったらしく完全に沈没した。どうもネタがよくない。
でも今年の私の大胆予想は「本庶、Allison、坂口」。もしかしたら「石坂、坂口」。どうだろうか。
追記)2017年のノーベル医学生理学賞は「時計遺伝子」に。いつかはもらうだろうと思っていたが。。。私の迷言「記録は破られるためにある。(ノーベル賞の)予想ははずれるためにある」
15日午後から名古屋大学環境医学研究所の先生に大学院講義で呼ばれたので新幹線で名古屋に向かう。忙しくてスライドの準備ができていない。車内でパソコンをパチパチやっていたら完全に車酔いしてしまった。気持ちが悪くて不完全なまま断念。4時に研究室でと約束していたのだが、名古屋駅についたのは3時10分くらい。余裕で4時には着けるだろうと踏んでいた。新幹線を降りてから地下鉄東山線の場所がわからない。かなり歩いてホームに着くと電車を待っているすごい人だかり。適当に空いているところを見つけて飛び乗った。初めは立っていたがまだ気分が悪く席が空いたので座る。落ち着いたらどうも居心地が悪い。何か変だと思って見回すと女性ばかり。そう、名古屋の東山線では終日の女性専用車両があるのだ。またやっちまった。あわてて途中の駅で降りたが次の電車が来るまで待つ羽目に。普通昼間はないだろう。立っている人はいるものの結構スカスカではないか。この差別はひどくないか?聞くと抗議は結構あるという。脅迫も男性専用車両をつくれという訴えもあるそうだ。ラッシュ時はともかく昼間に専用車両を設けるのは意味がわからない。名古屋は特殊なのか。。。ともかくそんなこんなで遅れてしまい研究室に着いた時は4時15分を過ぎていた。
特殊といえば名古屋は独特な食文化を持っていると言われる。私もトーストにアンコを乗せた「小倉トースト」に挑戦したが、、、まあ驚くべきものではない(アンパンはすでにある)。講師の方と話していると、ラーメンでは激辛の「台湾ラーメン」が流行っているという。これにも挑戦した(味仙の台湾ラーメン・イタリアン)が、確かに何度もむせるほど辛かった。3年ほどまえにsummers studentで当教室に来た稲垣君を思い出した。彼にはお土産に「北極ラーメン」のカップ麺を持たせたのだが、あのラーメンはどうなったのだろう。台湾ラーメンは北極ラーメンといい勝負かもしれない。完食したが帰りの新幹線ではお腹が。。。
講義の方は無事終了。ASLやアルツハイマーが専門の先生なのでこちらもいろいろと質問して有意義だった。台風18号が近づいているので朝早めに東京に戻ることにした。
今日(2017.9.13)のドクターGはIgG4関連疾患(お前の情報源はテレビかネットかよ?!原著を読めよ!)。腰が痛い、疲れる、多飲、などから糖尿病、しかもすい臓がんによる糖尿病が疑われた。しかしドクターGは「味覚の変化」「目が乾く」という症状を見逃さず「IgG4関連疾患」と特定した。研修医も全員同じ病名を挙げたのは「IgG4関連疾患」が医師の間では周知されているということだろう。免疫疾患とすい臓がんを間違われたら患者さんはたまらない。実際に1990年代にはすい臓がんと診断されて手術したら癌細胞ではなく形質細胞(B細胞)だったということもあったらしい。もちろん「免疫学」の講義でもIgG4関連疾患は取り上げるが「抗体」のところで「免疫疾患」ではない。代表的な「ミクリッツ病」以外は授業では解説もしない。実は欧米の教科書にはあまり載っていない、というか見たことがない。日本では研究班が作られて熱心に研究されているが海外ではそれほど認識されていないのかもしれない。しかしなるほどドクターGでも取り上げるくらいだから実臨床でも重要なんだと認識した。でもIgG4関連疾患はあまりにも広範囲で多彩なのだ。途中で私もシェーグレンかよと思ったくらい。番組では『IgG4って何なの?』「どうしてこんな病気になるの?」という一番の根元の問題には全く触れていない。よくわかってないからしかたない。治療はいつものステロイド。まあそうなんだけどそれしかないの?やっぱりどうしてこんな自己抗体(かどうかも不明のようだ)ができるのか?という根源的な問題に迫らないと。それこそ「免疫学」の出番なんだろう。
しかし最近疲労感がひどい。9月上旬の職員健康診断のメンタルチェックに「時々死にたくなるか?」なんて質問があったが「毎日だよ」と答えようかと思ったけど「ふざけてるのか?」と言われそうでNoにした。今日も疲労感が抜けなくて早く帰ってドクターGを見れたのだが、多飲多尿もある。いよいよ糖尿病か。それとも。。。「飲み過ぎ」かも。
慶應義塾医学部100周年を記念して教室の歴史を書くように仰せつかっている。60周年記念誌には微に入り細に入り人事と研究業績が並べられている。とてもこのような大部の報告書のような「教室史」は書けないがこのネットの時代だ、各教授の業績くらいすぐにわかるだろうと思っていた。調べているうちに確かに近年亡くなったかたは学会などの「追悼文」が出ているので写真と業績が容易に入手できる。ところが1960−2000年くらいの情報がなかなか手に入らない。科研費の報告書のようなものは出てくるが、業績を短い言葉でまとめたものや写真が出てこない。写真は電子カメラの普及前だからだろう。当時はもちろんHPもなかった。この辺はお弟子さんを頼るしかない。戦後の微生物学免疫学教室のなかでひときわ光っているのは渡辺力教授の業績だろう。細菌の「多剤耐性因子」を発見したのだ。教科書に載るようなすごい発見だ。渡辺教授は教授在籍わずか2年で胃がんのために逝去されているのでその悲劇性もあって強い印象を残されたのかもしれない。教室の廊下に記念のパネルがある。不明にも私が赴任した時は誰かラボで実験中になくなったのか、くらいにしか考えていなかったが今回調べて改めてその偉大さが理解できた。
昨日は教授会で「研究委員会」の委員長としての最後の報告を行なった。2年の委員長の期間で様々な問題に取り組んだものの力不足のために時間と労力を使った割には成果は上がらなかった。実際に改善されたのは学振PDが健康診断を受けれるようになったことと「学部内一斉メール」を整備したことくらいだろうか。もともと調整力とかリーダーシップとかは皆無の人間なので「長」のつく仕事には向いてないのだ。自分で抱えて疲れが溜まる。ようやく研究委員長の肩の荷が降りたかと思ったら次はMCB(3年生の基礎教育科目;molecular and celluar biology?)の主任(取りまとめ役)を仰せつかった。自分には「免疫学」の講義があるので固辞していたのだが前任の先生があまりに大変そうなので「研究委員会が終わったら」という約束で引き受けたのだった。これは外部、内部の講師を呼んでオムニバス形式の講義が36コマ延々続くもので主任の役割は要するに時間割をつくったり担当を決めたりという調整役だ。委員も6、7名いるが非常に大変なので基礎各教室から若い人を出してもらってなんとか一人当たりの負担を軽くしようとしている。何処もそれぞれの授業を抱えているので皆さんなかなか大変だろうがお願いしてまわるしかない。こんだけやっても外部の偉い先生を呼んでも熱心に聞いている学生は少ないだろう。これが一番ストレスが溜まる。。。またぼやいてしまった。
9/2,3は毎年恒例の免疫適塾(皮膚科や微生物学免疫学教室などの5教室の合宿)。日曜日の午前中の発表の後、ソフトボールをやるのも恒例になっている。台風が心配されたが3日は秋晴れの爽やかな好天に恵まれた。うちは学生が減っていて9人に足りない。そこで特別講師に旧知のK先生を呼んで助っ人になってもらうことにしていた。K先生は高校時代、野球部でなんとプロ野球入団テストも受けたことがあるという筋金入りである。今でも週一はかならずバッティングセンターに通っているというので大リーガー級の助っ人である(と期待された)。一回戦は皮膚科(先行)と。皮膚科は常に優勝候補である。K先生には当然ホームランが期待されたが。。。なんと三振かボテボテの内野ゴロばかり(それでも草ソフトなので一塁セーフになることが多かったが)。どうも草ソフトの超スローで山なりの球はタイミングが全くあわないらしい。結局3回表まで4−0で皮膚科にリードを許す。3回裏敗色濃厚だったが、第一打者の私のヒットを皮切りに当教室は驚異的な粘りをみせて4−4の同点にまでこぎつけた。勝敗の行方は皮膚科教授と当教室代表のジャンケンに委ねられた。私はこういう賭け事には全くツキがない。躊躇したが他に誰も代わろうという者がいなかったので私がやることになった。1回目の勝負で皮膚科教授がパーで私がチョキ。皆優勝したかのように大喜びだった。2回戦は理研チーム。こちらも3回裏で逆転。最後の決勝戦で本田研チームに大差で破れた。このとき私は最初からは投げていない。途中1回戦だったか足に打球が直撃して走れなくなったのだ(なぜか当たったところでないところが内出血している。重力のせいらしい。痛風ではない)。それでもあまりに打たれるので最後は痛みを押して私が投げなんとか後続を断つもの既に10点取られていた。最終回3点とるも逆転とはならず今年の夏は終った。
人が足りないのでK先生は途中本田研チームにも参加していた。私の判断で最後の決勝戦ではうちではなく本田研チームに所属してもらった(理由はわかるよね)。結局K先生のバットからは一度も快音は聞かれなかったが、K先生が入ったチームは全て勝利している。十分助っ人としての役割を果たしたと言えなくもない。
ラボに戻って火曜日のセミナー。長年使ってきたプロジェクターの電源が入らなくなった。学生らは故障だというが、全く電源が入らないときはプラグの接触不良をまず疑うべきだ。テスターで通電状況を調べるとほどなく不良の原因がわかって修理完了。便利屋の面目躍如というところだ。機械は電子部分でなければ修理できることもある。ものごとには必ず原因と結果がある。原因を見つけて直せば結果はついてくる。研究も同じ。
8/30大阪大学第三内科の教授に呼ばれて講演に伺った。「内輪の会なので気楽に、若手をencouradgeするような話をしてください」というリクエストなので昔のJAKやSOCSの歴史の話をまずして残りを「サマースクール」の時のような「T細胞リプログラミング」の話をする。確かに聴衆は若い人たちが多い。教授の方からは「サイトカインのシグナル伝達機構解明の時代を切り開いたパイオニア」みたいな超過分な紹介を受けたので「いやいや私はJAKの発見競争では一敗地にまみれた。そのあとは遺伝子クローニング、ノックアウトマウスの作成と当時としては常に一歩遅れた全く精彩のないことをやっていた。自慢できるとしたら人よりちょっとだけ余計に働いたことくらい」といつもネガティブ発言で盛り下げてしまった。教授が聴衆に向かって「若い頃、吉村先生のブログを読んで勇気付けられた、君らもぜひ読みなさい」と言われたが「いやいや今はただぼやいているだけでブラックなことは書けません」。もし昔の話を見たいひとはこちらのページを。しかし懇親会では半分儀礼的かもしれないが「面白かった」と言ってもらえて質問がひっきりなしだった(料理があまり食べられなくてお腹が空いてしまった)。こんな熱心な若手がひしめいている阪大はやっぱりすごいと感心する。
夜、ホテルに着いたが疲れていたのか少しの酒でかなり酔ってしまったようだった。メールを調べると一月半前に投稿した某journalのofficeからメールが届いていた。速報誌を標榜しているのに一月も返事がないのはおかしい、どうなっている?とメールを送っていたのだった。返事は「reviewerからのコメントがまだ届いていない」「unacceptableとは思うが我慢してくれ」と書いていある。この雑誌は私自身は何度かreviewerとして奉仕(もちろん無償)したことがある。なんという仕打ちだ。何故か頭に血が昇って「9/5までに返事をもらえないなら取り下げる。2度とおたくの論文のReviewはしない」と送ってしまった。酔っていたのだろうが朝起きたらかなり後悔。やっぱり短気は損気だな。待てない人だから仕方ないか。渋滞に我慢できず抜け道に入ってさらに動けなくなる、そんな痛い目を何度も経験しているのに。。
東京に戻ると雨で気温が21度だった。涼しいというより寒いくらい。もう夏も終わりか。
今日は免疫学の再試験。半分程度(6題)は中間試験と本試験から出題する(問題解答はWebに掲載済み)、手書きのノート持ち込み可、である。すでに50点は取れたようなものなのであと10点だ。「学生を甘やかせ過ぎているのでは」あるいは「そこまで勉強しないと思うとは学生をばかにしているのでは」とお叱りをうけるのではないかと危惧していた。まあ確実に復習はしてくれるだろうと思ってこんな甘い再試験にした。蓋を開けて見るとさすがにほとんどは再試験合格圏内だ。しかし新作はほとんどが臨床問題(症状から病名を推測してその発症原理を書く)なのでほんの少し応用力が問われる。これらはかなり出来が悪い。来年は「症例から学ぶ免疫学」という枠をヒトコマつくりたい。