慶應義塾大学医学部 吉村昭彦
中外製薬の抗IL-6受容体抗体アクテムラは国内外の年間の売り上げ1000億円を上回る勢いと言われている(平成24年度)。IL-6および抗IL-6受容体抗体の発見、開発に貢献し成功された岸本忠三先生は免疫やバイオ関係者のあこがれるロールプレイヤーであり尊敬と羨望を一身に集めておられる。
バイオ製剤は現代医学生物学の英知の結晶ともいうべき特効薬である。しかしこれらは高い薬効があるものの高価であり注射を原則とする。開発途上国の人々にまであまねく医学の恩恵が行き渡るには時間とさらなる改良が必要であろう。そのひとつの方策はサイトカインのシグナルをブロックする経口投与可能な分子標的薬剤の開発である。実際にJAK阻害剤はすでに米ファイザー社が開発したトファシチニブが抗リウマチ薬として米食品医薬品局(FDA)に承認されている(2011年11月6日)し、多くの企業がそれぞれ特徴あるJAK阻害剤の開発にしのぎを削っている。新聞報道によればアステラス製薬は、自社が創製した経口JAK阻害剤ASP015Kについて、米ヤンセン・バイオテック社と締結し6500万ドルの一時金を今年度に受け取るらしい。加えて、開発・商業化の進展に応じて最大8億8000万ドルを受け取る可能性があるそうだ。抗体製剤の次は分子標的薬剤、という流れがひたひたと押し寄せているように思える。
ではサイトカインのシグナル伝達はどのような経緯で発見されたのだろうか?
サイトカイン受容体のシグナル分子:1991年前夜
私は1989年にアメリカのMITホワイトヘッド研究所のHarvey Lodish教授のもとに留学した。当時クローニングされたばかりのエリスロポエチン(EPO)受容体をテーマに選んで、偶然に活性化型変異や機能亢進型変異を発見した(1)。この発見からエリスロポエチン受容体はダイマー化によって活性化されること、C末端が負の調節に関わることが示唆された。このようなエリスロポエチン受容体の性質はチロシンキナーゼ型受容体に近いものだった。しかし受容体の細胞内ドメインにはサイトカイン受容体全般に保存されるBox1,Box2と呼ばれる領域が存在するものの、キナーゼをコードする領域は存在しない。サイトカイン受容体のシグナルを伝える本体,すなわちシグナル変換分子はこれまでに知られていない新規のものであろう。それを発見することは教科書に載るような重要な仕事であると確信した。(写真はLodish研で実験する著者)
1980年代の終盤、エリスロポエチンを含めたサイトカイン、そしてその受容体のクローニングが終わり多くの研究者がシグナル伝達機構の解明に乗り出していた。当然競争も激しかった。1990年前後で数多くの論文が発表された。その多くはsrc型チロシンキナーゼがサイトカイン受容体に会合してシグナルを伝えるというものだった。ScienceやEMBO-Jなどtop-journalに論文が発表されており、もはやsrc型キナーゼで決着がつくか、とも思われた。そこで私は既存のsrc型キナーゼの検証からはじめた。確かにエリスロポエチン受容体を強制発現させたBa/F3細胞をエリスロポエチンで刺激すると受容体の分子量が若干増え、フォスファターゼ処理によって消えるので受容体はリン酸化されることがわかった。しかしBa/F3細胞はv-srcでもv-fesでもあるいはEGF受容体でも、強制発現によってエリスロポエチンの代わりはできなかった。EGF受容体でEGF依存性になるという論文もあったが私の使っていたBa/F3細胞ではそうはならなかった。またエリスロポエチン受容体を細胞外ドメインに、EGF受容体のチロシンキナーゼを細胞内にもつキメラ分子も機能しなかった。そのようなキメラ分子がBa/F3細胞をエリスロポエチン依存性にするという報告もNatureに掲載された。私も自分でもやってみて、ごく稀にエリスロポエチン依存性になった細胞が得られたが、なんと内因性のエリスロポエチン受容体が発現誘導されたものだった(2)。これらの結果からエリスロポエチンのシグナルを伝えるチロシンキナーゼは既知のものではないと確信した。
pp130の発見
私は正攻法で攻めることにした。つまり受容体を精製してそこに会合するキナーゼを同定するという全くオーソドックスな方法である。だが問題がいくつかあった。ひとつは細胞表面の受容体数が極めて少ないこと(1000個/細胞程度)、エリスロポエチン受容体の場合は特異的なモノクローナル抗体がないこと、シグナル変換酵素を含む複合体を可溶化する条件が不明なことであった。そこで細胞表面の受容体を効率よく濃縮するためにビオチン化したエリスロポエチンを用いることにした。ビオチン化もアビジンカラムによる受容体の濃縮も非常にうまくいった。しかし可溶化はうまくいかない。強い界面活性剤では受容体とJAKの会合がはずれてしまうので、それまでシグナル変換酵素が見つからなかったのだ。TritonX-100で可溶化して32P-ATPを加えても受容体がリン酸化される気配がなかった。そこで膜透過性のクロスリンカーで処理し複合体を架橋してから可溶化してりん酸化反応を行った。この架橋剤はSS結合を有しており還元剤によって切断されてSDS-PAGEすれば本来の単量体にもどる。そのまま電気泳動すると多くの非特異バンドの中に受容体と思われる特異的なバンドが見られた。しかしまだ非特異的な反応物も多くチロシンリン酸化かどうかはわからない。このリン酸化産物をSDS中で分離し抗ホスホチロシン抗体で免疫沈降したところ、72と130キロダルトンの2つのバンドが明瞭に確認された。それ以外のバンドは全くなくLodish教授はbeautiful!と言って賞賛してくれた(図参照)(3)。
受容体抗体による再沈降実験から72キロダルトンの分子はエリスロポエチン受容体そのものであることを確認した。130キロのほうは未知の分子だが糖鎖付加はなく細胞内分子のようだった。私はこれをpp130と名付けてエリスロポエチン受容体に会合するチロシンキナーゼもしくはその基質であるとした(3)。さらにpp130はエリスロポエチン受容体だけでなくIL-3受容体でも検出されたことからサイトカイン受容体に共通するシグナル分子であろうと確信した。これまで誰も検出したことのないサイトカイン受容体に会合する分子をはっきりと目に見える形で提示できたことは大きな前進だったと思う。しかし感度がものすごく悪くて実験ごとのばらつきも大きかった。32Pの半減期2週間を待ってはじめて検出できるバンドであった。あまりに32Pを使うのでベンチの前のポスドク仲間は防護たてを私に向けてあからさまに不快感を示した。それでも確実に検出はできたのでpp130が会合することに自信はあった。この仕事はアメリカを去る半年以上前つまり1991年夏にはすでに完成していた。Lodish教授はボストンでの秋のNature主催のカンファレンスで得意げに発表してくれた。しかし論文はなかなか通らずにEMBO-Jに蹴られてそこで帰国となった。後にこの論文は帰国後Molecular and Cellular Biology (MCB)誌に掲載された(3)。1992年2月号である。
pp130とJAK2
私は1991年12月に帰国した。これが一生悔いる決断だった。なぜ残ってpp130に賭けようとしなかったのだろう。帰国しなければ日本での助教授職をあきらめないといけないという非常に難しい選択だった。留学後1年でNatureに論文を出したために挑戦する気持ちが 薄らいでいたことは否めない。pp130が新しいチロシンキナーゼであったとしてもそれを同定することはかなり困難のように思えたし、本当にシグナル伝達分子であると断言できる証拠がなかった。さらにsrc型チロシンキナーゼであるとする論文がかなりの数、top-journalに掲載されており、本当のところpp130を信じてくるひとは少数だったのだろう。またこの検出法は実に工程が複雑で感度も悪く、もしかしたら私だけしか実験を再現できないのではないかと本気で思っていた。当然かもしれないが帰国前に書いた科研費はひとつも通らずに帰ったとたんに途方にくれることになった。しかし帰国後もう一度pp130を同定しようという気持ちになっていた。陳腐な方法であったがエリスロポエチンに応答する赤芽球株細胞で発現するチロシンキナーゼをdegeneratedオリゴを用いたPCR法によって網羅的に検索した。その結果JAK2として報告されていた機能不明のチロシンキナーゼが大量に発現していることがわかった。その分子量は130キロダルトンだった。もしかしたらという思いがあった。
pp130がMCBに掲載された同年(1992年)、Cellの6月号にG.Starkらの歴史的な論文が発表された(4)。130キロダルトンのtyk2がインターフェロン受容体のシグナル変換酵素であることが報告された。これは体細胞遺伝学を駆使した画期的で見事な論文だった。その美しさに何度も読み返した。さらに衝撃的だったのは同じ号にインターフェロンのシグナルを伝える転写因子の精製クローニングの報告が掲載されたのだった。それはSH2ドメインをもつ転写因子STAT1/2であった(5)。インターフェロンのシグナルは受容体-Tyk2-STAT1/2と大枠が解明された。この論文をみて私はpp130はJAK2に違いないとさらに確信した。JAK2はtyk2の相同性分子だったからだ。当時まだインターフェロンとサイトカインが同じシグナル伝達機構を使っているという認識は乏しかった。まだ間に合うかもしれない。しかし研究費が全くない。長田重一先生に泣きついて研究班に入れてもらって150万円を分けていただいた。さっそく抗体を作ろうとした。当時MAP法というペプチドをオリゴマーにして免疫するという方法が宣伝されていた。今では誰も使わない方法である。キャリアータンパクにペプチドを結合しなくてよいので手間が省けて安価で早いという。それまでペプチドは全部自分でキャリアにつないでウサギに免疫していたのだが、安さと簡便さに負けてついMAP法でペプチドを合成してしまった。その結果3ヶ月たっても抗体はできず、1年たっても全く証拠は得られなかった。免疫学の基礎知識があればMAP法などうまくいくはずはないことはすぐにわかっただろうに。
JAK2の同定とその後
当然pp130がJAK2だろうと思ったのは私だけではなかった。私がもたもたしているうちに1993年6月号のCellにJim Ihleらのグループによって、JAK2がエリスロポエチン受容体や成長ホルモン受容体に会合することが報告された(6,7)。後年Ihleのラボを訪れた時に私のことを『サイトカイン受容体に130キロダルトンの分子、おそらくJAK2が会合していることを世界ではじめて報告した男』、と持ち上げてくれたがすでにあとの祭り。その後JAK-STATの研究はまさに秒刻みで爆発的に進行していき、JAKは4つ、STATは6種類ありそれぞれの機能も次々と解明され1995年にはほぼおおまかなスキームが解明されている(図参照)。
その激しい流れに徒手空拳の私はもはや追いつくことも参入すらもできなかった。1993年夏に意を決してSTATの標的分子を探す旅に出た。そしてJAK/STAT経路の負の制御因子CIS/SOCSファミリーを発見することになるのだが、その経緯は拙文「CIS/SOCSファミリーの発見」を参照願いたい。JAKの負の制御因子であるCIS/SOCSの発見で少しは失地を挽回できたのかもしれない。だが逃がした魚ほど大きく思えるのは釣りだけではない。pp130、実に惜しかった。
?歴史にもし……だったらといっても意味が無いことはよくわかる。しかしついもし帰国しないであと1年Lodish先生のラボに残っていたら、と思わずにはいられない。当時のアメリカの情報量の多さ、研究費の潤沢さ、MITはCell誌と特別なパイプがあったことを思えば勝てないまでも負けはしなかっただろう。抗体さえちゃんと作れたら必ずpp130を免疫沈降できただろう。Ihleと並んでサイトカイン受容体のシグナル分子を発見した研究者として教科書に名を残せたかもしれない。私のpp130の論文はDarnelらのTyk2の論文より先であり、1年半前にpp130の存在はわかっていたので1990年当初、私がJAKに最も近かった男だった可能性は高い。このときしゃにむにpp130の同定を行い特許を取得していたら。。JAK阻害剤が免疫疾患治療に実際に使われようとしていることを考えると、私が第二の岸本先生になれたかもしれないではないか。しかし日和って帰国し、抗体作製も手抜きの道を選んでしまった私にはサイエンスの女神は微笑まなかった。私はこの経験から私のような凡才でも本当の大発見に巡り会う機会が一生のうちに1度か2度はあるのではないかと思うようになった。しかも20-30代の若いうちである。若いひとたちは常勤的な研究ポストが減り大変だろうが、なんとか情熱を失わず研究できる環境に居続けることが重要ではないだろか。するといつかは大きなチャンスが巡ってくるだろう。パスツールが
『偶然は準備された精神にしか微笑まない』
と言っている通りそのチャンスは多くは偶然やってくる。しかし多くの人は気がつかないか、気がついたとしても私のようにニアミスで終わってしまう。だから本当にチャンスが来た時は躊躇してはいけない。そこにすべてを賭けて必ずものにするという意気込みが必要なのだろう。酒井邦嘉氏は“科学者という仕事”(中央公論)で『分かるか分からないかの状況が一番苦しい』と述べている。そこに存在することが分かってしまえばそれを証明することは比較的やさしい。事実その後JAKは界面活性剤と抗ホスフォチロシン抗体を変えることで容易に検出されるようになった。先頭に立つ者の苦しさはそこにあり、だからこそ一番乗りが賞賛される。iPSの山中先生も言われている通り、あと一歩を乗り越え飛躍するためにはリスクを覚悟した挑戦が必要なのだろう。もちろん全員が挑戦して一番手となるわけではない。科学者は、挑戦に失敗して歴史の中に露と消えてもなお科学に殉ずる気持ちが持てるかを常に試されているような気がする。
文献
(1) Yoshimura A, Longmore G, Lodish HF. Point mutation in the exoplasmic domain of the erythropoietin receptor resulting in hormone-independent activation and tumorigenicity. Nature. 1990 Dec 13;348(6302):647-9.??
(2) Yoshimura, A : Second subunit of EPO receptor? Nature 372, 137-138, 1994
(3) Yoshimura A, Lodish HF. In vitro phosphorylation of the erythropoietin receptor and an associated protein, pp130. Mol Cell Biol. 1992 Feb;12(2):706-15.???
(4) Velazquez L, Fellous M, Stark GR, Pellegrini S. A protein tyrosine kinase in the interferon alpha/beta signaling pathway. Cell. 1992 Jul 24;70(2):313-22.??
(5) Fu XY. A transcription factor with SH2 and SH3 domains is directly activated by an interferon alpha-induced cytoplasmic protein tyrosine kinase(s). Cell. 1992 Jul 24;70(2):323-35.??
(6)Argetsinger LS, Campbell GS, Yang X, Witthuhn BA, Silvennoinen O, Ihle JN, Carter-Su C. Identification of JAK2 as a growth hormone receptor-associated tyrosine kinase. Cell. 1993 Jul 30;74(2):237-44. ??
(7) Witthuhn BA, Quelle FW, Silvennoinen O, Yi T, Tang B, Miura O, Ihle JN. JAK2 associates with the erythropoietin receptor and is tyrosine phosphorylated and activated following stimulation with erythropoietin.?Cell. 1993 Jul 30;74(2):227-36.?

やっぱりオンリーワンは強い?病態代謝研究会40周年に寄せて(Spredの研究)
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CIS/SOCSファミリーの発見(2011-1-31 )
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