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宮島先生、ご退任おめでとうございます。


記念誌に何か書けと言われて当然ながら、訪問研究員としてお世話になったDNAX研究所時代(1993年の夏)を思い返すこととなりました。同時の思い出が走馬灯のように浮かびます。あのころは「遺伝子ハンティングの時代」で毎日がワクワクしていました。やはり研究者も人の子なので「狩り」にはひときわ心踊る。当時は遺伝子cloningによって一攫千金を狙えた時代でした。だから私にとって、もしかしたら宮島先生にとっても、研究者人生の中で一番エキサイティングな日々だったかもしれません。


私と宮島先生とのつきあいは19921月に始まります。アシロマというカリフォルニアの別荘地で免疫Winter Seminarが開かれた際に、私は昔のボスの名代で出席したのでした。MITでの留学を終えて鹿児島大学に復帰したばかりでした。その時、日本人で招待されていたのが大阪大学の岸本忠三先生、そしてDNAX研究所から宮島先生、上代淑人先生でした。会議のあと宮島先生が車でモントレー半島の海岸線17マイルドライブを案内して下さった。そして日本に帰る前にDNAX研究所によってセミナーをしていくよう誘われました。それが縁で、以降宮島先生とは電話やFAXで連絡をとるようになりました。当時は『電話でcloning』などとも言われていたくらい情報が飛び交っており、さらに宮島先生は世界中を飛び回っておられ、様々な情報を教えてもらいました。後にオーストラリアのDoug Hilton、大阪大学の岸本先生、そして我々の3つのグループが同時にSOCSNatureに投稿できたのも宮島先生からの電話がきっかけでした。しかし、当時私といえば鹿児島でくすぶったままで、電話で世界の様子を伝え聞くと居ても立ってもいられない気持ちになりました。そこで先生にお願いして1993年のひと夏をDNAXで過ごさせてもらうことにしました。1993年の夏といえば、記録的な冷夏のために米は不作で政府は米の緊急輸入を行い、また鹿児島では集中豪雨と台風のために100人近くが犠牲になりました。さらに8月には自民党政権が倒れ細川首相率いる連立内閣が発足しました。そんな記録に残る夏でした。


DNAX研究所では、7月から2ヶ月半と言う短い滞在期間でしたが、原孝彦先生によって開発されたばかりの「ライブラリーサブトラクション法」を伝授していただき、エリスロポエチン受容体のシグナルで誘導される遺伝子のクローニングを目指しました。本来は私が予想していたサイトカイン受容体のシグナル伝達に関わるチロシンキナーゼ(pp130)をクローニングする予定でした。しかしDNAXに行くほんの少し前にサイトカイン受容体にJAKチロシンキナーゼが会合していることが報告されて、その下流にSTATがあることも瞬く間に明らかにされたのでした。今更シグナル伝達分子を狙っても追いつけない。そこでSTATの標的遺伝子を獲ることが私のミッションになりました。その頃のDNAX研究所は遺伝子解析や細胞実験に関するすべてが整備されており研究環境は抜群でしたが、それだけではなかったでしょう。まずともかく運が味方してくれた。私にとって初めての遺伝子クローニングの挑戦でしたが、beginner’s luckなのか、このときマウスオンコスタチンM(OSM)と新種のケモカイン(現在のCCL9)と機能不明の遺伝子断片(のちのcytokine-inducible SH2 protein, CIS)を釣り上げることに成功しました。もちろん当時、宮島研には北村俊雄先生、原孝彦先生、大学院生の大成君らが在籍しておりテクニカルに助けていただいたのも大きい。これらの遺伝子のおかげでEMBO journalなど当時のトップクラスの雑誌に論文を発表でき、そのおかげで1995年に久留米大学分子生命科学研究所で独立のチャンスをいただきました。宮島先生との出会いがなければこんな大抜擢は絶対に得られなかったでしょう。


宮島先生との出会いによって得たのは研究成果ばかりではありません。DNAX滞在中に新井賢一先生、直子先生、渋谷彰先生、和子先生、Anne O’Garra、出原賢治先生、西中村隆一先生、佐藤のり子先生、渡辺すみ子さんらをはじめ多くの知己を得ました。さらにDNAXalumniに加えていただいたおかげで多くのすばらしい先生たちとのネットワークに加えていただけたのは今でも私の宝です。


その後も宮島先生には様々な機会にお世話になりました。1994年の夏にもDNAX研究所におじゃましてOSMCISのゲノムのクローニングを行いました(写真はその時に三浦先生が訪ねて来られた時のものです)。また先生が日本生化学会の会長の時に生化学会では最も権威ある「柿内三郎記念賞」を頂きました。先生のご推挙のおかげです。他にもおそらくいろいろな研究費の申請でも目をかけていただいたことと思います。最近は減ったものの、国内外の学会でもよくご一緒させていただきました。写真はPeter Heinrichがドイツ・アーヘンで毎年のように開催していたサイトカイン・シンポジウムで撮影したもので、遠くに平野俊夫先生も写っています。私はサイトカインの研究から離れられず今日に至っていますが、宮島先生はそこから肝臓を中心に幹細胞や再生のほうに大きく舵を切られ世界的な研究を展開されてきました。普通ではなかなかできることではありません。宮島先生は私の目標であり、いつも頼りになる兄貴分でもあります。これからも宮島先生とのご縁を大事にしたいと考えていますが、この場を借りてもう一度宮島先生にお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。


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