トップ  >  山岡育英会寄稿(2009年)夢をあきらめないこと

 


夢をあきらめないこと


 


奨学生のみなさん、はじめまして。私は学部学生時代、大学院時代あわせて8年半の長期にわたって山岡育英会の奨学生として恩恵を与りました。京都大学理学研究科を卒業後、現在、慶應義塾大学医学部で免疫学と微生物学を教えています。私は18歳で大学に入学した時に研究を天職として生きていきたい、という夢を持っていましたのでとりあえず本懐を遂げることができました。私は運が良かったのかもしれません。親には経済的に余裕がなかったのに大学院まで進学できたのは山岡育英会をはじめ各種奨学金のおかげです。経済危機で授業料を払えないために高校中退を余儀なくされる高校生の話などを耳にすると心が痛みます。抜本的な奨学制度改革の必要性を感じるのは私だけではないでしょう。


 教授として自分の研究室を持つようになって、もうひとつ目標が生まれました。それは教育です。といっても講義をするという意味ではなく、次の世代の若い研究者を育てたいと思うようになりました。研究だけなら研究所でもよかったし、実際に国の研究機関から招聘もあったのですが、どうしても大学から離れられなかった。それは大学院生を鍛えて研究者として活躍できる人材をできるだけ多く世に送り出したいと言うもうひとつの夢があったからです。これまでに卒業生は50名を超えています。卒業生たちはそれぞれ留学、企業、大学、医局にと次の活躍の場を求めて巣立って行く。この30年で学生の気質は随分かわってきました。しかし時代を超えてかわらない真理があると信じています。それは”苦しくても夢を持って頑張る。努力すれば必ず報われる”、という極めて単純なことです。


 私が属していた大学で独立准教授の選考を行っていました。私は選考委員長のような役目をしていました。そのなかで一人アメリカに留学中のある若者が応募してきました。大変すぐれた業績を持ち,面接での受け答えも抜群で当然審査員全員ぜひ採用したい、という意見でした。本人もぜひよろしくお願いします、とうことで私はさっそく採用手続きを進めました。ところが数日後、本人から、アメリカに渡った時の”ここで研究室を持って独立したい”という夢に挑戦したいと言って断りの電話をかけてきました。さすがにすでにいろいろな手続きが進んでいたので、こちらもあっさりとは認めるわけにはいかず、かなり慰留に努めました。しかしやはり本人の意思が堅いとわかると、ひとしきり社会のルールを説いた上で??“それならしかたない、頑張ってアメリカで独立しなさい”と承諾しました。


 多方面に迷惑をかけないためには決断する前によく考えて後もどりしなくていいようにすべきなことはもちろんです。しかしマリッジブルーのように、次第に今の決断は自分をごまかしている、自分が進むべき本当の道は違うところにある、と逡巡することは決して少なくない。そんなときは遠慮はしなくていい。若い時には、時にはひとの迷惑よりも自分を優先することはあっていい。周囲の大人は”少々の混乱や迷惑は自分がなんとか納めてやるから本当にやりたいことをやりなさい”というのが大人としての役目なんだと思います。


 だから少々のことで夢はあきらめる必要はない。でもその前に君たちはかなりのものを犠牲にできるだけの”夢”を持っているだろうか?


 ところで内定を断った彼はアメリカでの採用試験にも受かり、現在研究室を構えているそうです。


 

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