トップ  >  関谷古賀披露宴祝辞(シリーズ第8段)

 高史君、敬子さん、本日はおめでとう。ご両家の皆様にも心からお祝いを申し上げます。私がご紹介にあずかりました吉村でございます。両名をよく知る者として、お二人をご紹介するとともに、ひとことはなむけの言葉を差し上げたいと思います。二人分話しますので少し長くなるかもしれませんがご容赦ください。


 何を隠そうこの二人を結びつけたのはこの私です。こんなオヤジなので口にするのもはばかられますが正真正銘の愛のキューピットと言えます。

  二人から婚約の報告を受けたのは1年ほど前の今頃で大阪での学会のあとの宴会の席でした。その時は絶対に嘘だ、自分はからかられていると信じられませんでした。当時彼らは大阪と東京、別々に暮らしており、そもそも二人に接点はないはずです。しかしどうも本当らしい。よくよく話を聞きますとことのはじめは2008年9月だそうです。この年の春に私は九州大学から慶應大学に移ったのですが、敬子さんを含めて一部は九大のラボで研究を続けていました。その9月に慶應での教室のセミナーに敬子さんを呼んで彼女の研究内容を発表してもらったのでした。一方の関谷君は同じく2008年8月から当研究室に参加しました。ですから赴任早々に、たまたま一日だけ福岡から来た大学院生に惚れて猛アタックを開始し今日にいたった、ということです。もし私が敬子さんを東京に呼ばなかったら、あるいは関谷君の赴任を10月からにしていたらこの日はないわけで、やはり私がキューピット役と言っても過言ではかろうと思う訳です。

しかし、そういう重要な役でありながら、経過報告なくいきなり宴会の席での婚約の報告。周囲の者は皆知っていたそうで、知らぬは親ばかりなり、の状態でした。巨人の渡邊会長ではないですが、オレは聞いとらん!と言いたくもなります。ひがむ訳ではありませんが、彼らもそのうち子を授かったらこの気持ちがわかる時がいつか来ると思います。

さて、では皆様にまず関谷君のご紹介をしたいと思います。さきほどご紹介ありましたように、彼は1999年に東京大学理科2類を卒業し大学院では同大学分子細胞生物学研究所の秋山てつ先生に師事して学位を取得しました。秋山先生は癌や細胞内シグナル伝達で高名な先生です。2004年に大学院終了後直ちにアメリカ フィラデルフィアにありますFox Chase Cancer Center に留学、ここで4年間を過ごしております。この間転写の研究を行い非常に優れた成果をあげ20088月より私どもの研究室の研究員として参加し201010月より助教に昇進しています。先頃、我々の教室に来てわずか3年でNature姉妹紙に論文を発表するなど実力は十分で、将来を嘱望される新々気鋭の若手研究者です。私どもの研究室では免疫を人為的に操る方法を開発したいと研究を行っております。たとえば花粉症とかアトピーといったアレルギー性疾患は免疫の異常で起こります。これらはまだ命にかかわることはないですが、リウマチやSLEなどは難病です。こういった疾患の治療方法は近年進んではきていますが根本的な原因の解明や治療法の開発には至っておりません。私たちは、なぜこのような免疫疾患が起こるのか、それを矯正するにはどうすればよいのか、について研究しています。関谷君はこのなかで独自の重要な分子を発見しそれを発展させようと日夜頑張っています。私は近い将来関谷君は必ずや独立して教授になる人材だと確信しています。なによりも集中力がすごい。さらにぴか一の技術力を持っている。彼は私どもの教室に来るまでに免疫の実験は一切したことがありません。それがどんな実験も1,2回やれば完璧にできてしまう。実験の失敗がほとんどない。それが短期間に非常に質の高い成果をあげられる彼の原動力であると思います。

私は関谷君を有言実行の人物と高く評価しています。少々頑固なところはありますが言ったことは必ず実行し実現させています。実はここだけの話ですが、私は某T大学から来ないかと誘われたことがあります。一流の研究機関からのオファーでしたが、いろいろな障害を考えるとかなかなか決断できなかった。それでスタッフの面々に相談しましたのですが関谷君は反対しました。現在の研究環境は悪くないし移動によるロスは大きいと言うわけです。そして彼は“先生決して後悔させません”とまで断言してくれました。それを聞いて私は異動するのをやめることにしました。関谷君ならば必ず画期的な成果をあげて私が慶應に残ってよかったと思わせてくれるはずだと信じたからです。彼はちょっと大見得を切りすぎたと後悔しているかもしれませんが、それはそれでいいでしょう。そのくらい真剣に打ち込んでもらえたら私も本望ですし、きっとそうなると信じています。

唯一彼に要望したいことは、これからリーダーとなるためのマネジメントの技術、能力を身につけて欲しいということです。これから独立して研究室を率いて行くとなりますと自分で実験し論文を書くばかりでは務まりません。研究費を獲得し、研究員や技術員を雇い指導する。大学院生を指導して論文を書かせる、とくに学生の指導は相当に骨の折れる仕事で、研究の能力と必ずしも比例しない。関谷君はたぶん学問上では私から学ぶことはほとんどないと思います。それくらい優秀です。しかしマネジメントは後天的に身につけなければいけない技能です。それはマネジメントの神様、ペータードラッカーも言っています。これからはぜ独立のため研鑽をぜひ私のもとで積んでいって欲しいと思います。一日も早く独立しラボを構えてくれることが私を後悔させない一番の道です。

次に敬子さんについてご紹介しておきたいと思います。敬子さんは2004年に当時九州大学にあった私の研究室に博士課程の学生として入ってきました。彼女には4年間一貫したテーマをやってもらいました。通常大学院生のテーマはその結果によってころころ変わるものです。1年生のときのテーマが2年生では全く別物に変わっていることもめずらしくありません。しかし敬子さんだけは違っていました。入学当初に彼女に与えたテーマはcAMPという化学物質が炎症を抑えるメカニズムを明らかにせよ、というものでした。彼女は4年間来る日も来る日もcAMPを細胞にふりかけてはその細胞の中で起こっていることを詳細に調べて行きました。これは極めて難しいテーマで私は途中で放棄しようと思ったことが何度もありましたが敬子さんはそれを粘り強くやり抜き、ついにImmunityという大変権威ある難しい学術誌に論文を発表して学位を取得しました。どれくらいすごいことかと言いますと、この成果だけですぐに大学の助教ポストにつけるくらいです。九州大学では学位を取得するためには英語の論文を学術雑誌に掲載しないといけません。論文をofficeに送ったのは8月で、返事が戻って来たのが例の2008年9月の終わりでした。論文のレフリーからは山のような追加実験の要求がありました。卒業は無理かもと思わせるような量でした。私は当時、週末土日しか福岡にいませんでしたが、彼女を叱咤激励して論文の完成を急がせました。時にはskypeというテレビ電話を使って実験の指示を出しましたが、やはり直に接していないとちゃんと伝わらないもので、私の思っていたのと違うデザインの実験をやってしまう。そんな時には私も相当頭にきて、なんでそんな実験をやるんだ!とかもう知らん!などとかなりきつい言葉をかけたりしました。しかし敬子さんはそんな罵倒にもめげず、夜中の1時、2時まで実験をしてくれました。そして論文の受理の知らせが届いたのがなんと12/31日、大晦日の日でした。卒業にはなんとか間に合わせることができました。4年間の彼女の頑張りに私は今でも頭の下がる思いです。このように敬子さんの芯の強さ、根性は相当なものです。しかしそれだけでは4年間苦しい実験をひたすら繰り返すことはできないでしょう。彼女は大変明るくユーモアも持ち合わせています。よく小学生と間違われたエピソードを話してくれました。それについてはまたあとで話があるかもしれませんが、明るく楽天的な面も持ち合わせている。だからこそ4年間途中で心折れることなく苦しい実験も楽しく、いやこれは私の想像ですが、やり遂げられたのだろうと思います。きっと現在の職場でも明るさと粘り強さを発揮していることではないかと思います。

さて最後に人生の先輩として私から結婚後の生活についてのアドバイスをひとつだけしたいと思います。こんなおふたりですのでまさしく絵に描いたような現代的なエリートカップルの誕生ではないかと思います。本当に輝いています。このままの未来が約束されているようにも思います。しかし既婚者の皆様はご承知のとおり、今日の幸福感は決して永遠に続くものではない。今はお二人の間では何のトラブルもないかもしれません。それは互いによいところしか見えないし、それぞれ自分のほうが譲歩する気持ちのやさしさもある。現在は関谷君がもっぱら譲歩しているそうですが(笑)。これが5年10年とたちますとそうはいかない。特に子供の育て方や親戚つきあいなど考え方の違いが表面化して意見が対立することもあります。とくに二人とも強気なところがあるので衝突したら心配です。そんなときにどうすればよいか。よく言われるように問題が起こったら逃げずに話し合って解決することです。しかし、それでもなお意見の対立が収まらず解決が困難なときがあります。そんなときにどうするか?私事で恐縮ですが、前回の結婚披露宴のスピーチで(関谷君のではありません。今日来ておられる西さん(讃井さん)の披露宴です)私が女房と冷戦状態にあることをコミュニケーション不足の一例として報告しました。その後どうなったかと言いますと2ヶ月ほど口をきかない状態が続きました。これはもういくところまでいくなと思いました。そこで私は今度イタリアで学会があるのでいっしょに行くかと提案しましたところ、女房は手のひらを返すように軟化し、一応最終戦争は回避されました。これも既婚者のかたならおおよそご同意いただけるかと思いますが最後は夫が折れるしかない。お互い譲り合うことが理想ですが、どうしても歩み寄れないとき夫は負け戦を覚悟しなければならない。それはおそらく万国共通の不条理な真実なのだろうと思います。

これから幸せな結婚生活をおくろうというお二人に余計なことを言ってしまいました。本当に最後にひとこと。105Appleの会長のステーブjobs氏がなくなりました。Maciphoneipodなどを世に送り出した不世出の天才経営者です。隠れApple教信者の私としては残念でしかたありません。彼のまねはできませんが、彼の言葉には勇気や知恵を与えられるものがあります。かの有名なスタンフォード大学でのスピーチの一節をお伝えして私のはなむけの言葉としたいと思います。

『人生は時にレンガで頭を殴られるようなひどいことも起きます。しかし信じることを止めてはいけない。私は自分がしていることがたまらなく好きです。それが私を動かし続けている唯一のものだと堅く信じています。そしてそれは仕事についても愛する人についても同じです。人生に心から満足を得る唯一の方法は偉大な仕事だと信じること、そして偉大な仕事をする唯一の方法は自分がしていることをたまらなく好きになることです。心というのはよくしたもので、見つければそれとわかるものです。そうすれば仕事も素晴らしい恋愛と同じように年を重ねるごとにさらによくなっていきます。』

今日のお二人をみていますとお互いをかけがえのないものとして選んだというすがすがしいオーラが感じられます。これがまさに年を重ねるごとにさらによくなっていく関係であって欲しいと願っています。

長くなって恐縮です。あ、すいません。Jobsではないですがもう一言(one more thing.(拍手のあとに言おうと思ったがスベるのが怖くて続けて話す)

関谷君、君は私に“先生を後悔させません”と言ってくれました。しかし私との約束はもうどうでもよい。ぜひその言葉は奥さんに言って欲しいと思います。“君を後悔はさせない”と。お二人の幸せを願って、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。



もちろんなごやかですばらしい会だった。秋深まりゆく箱根の古いしにせ旅館の披露宴もよかった。関谷君が自分で書いたイラストつきの俳句を披露してくれた。知られざる趣味があるものだ。いつものように結婚式の“やめる時も健やかなる時も”のフレーズでは(日頃泥まみれのせいか?)心洗われる思いがした。しかし残念ながらうちのラボから若いのが何名も行ったにもかかわらず余興がでなかった。これがないとどうも一抹の寂しさが残る。それだけ結婚の年齢があがってバカできないということだろう。今日のために仕入れていた
AKBネタと小学生ネタも披露する機会を逸してしまった。当初は私のスピーチにいれていたのだが、長くなるしさすがに私の話のなかでは親族のかたに失礼かと思ってはずした。期待していた友人代表のスピーチにはなかったので以下に記す。


関谷君は筋金入りのAKB48ファンである。特にXXXが好きらしい。握手会にも行ったことがあるという。一方の古賀さんは今日こそ美しい花嫁さんだったが普段は小柄でボーイッシュな感じ。同僚の杉山さんの話ではいっしょに旅行に行った時にどこかの施設に入ろうとして入場券を買おうとしたら“大人1枚、子供1枚ね”と言われたそうだ。また古賀さんが一人で甲子園球場にチケットを買いに行った時にうしろのオッサンから“お嬢ちゃん、ひとりで買いに来たんか、偉いね”と声をかけられたという。これらのことからなぜ関谷君が古賀敬子さんに夢中になって猛アタックしたのかは自ずと想像できよう。末永い幸せを祈るばかりである。

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