トップ  >  義一君披露宴祝辞(シリーズ第9弾)

  2013年4/21。私のところで長く助教を勤めてくれた高江洲義一君の結婚式、披露宴。知念君のときの披露宴を思い出してさぞにぎやかだろうと思っていたが予想にたがわず最後は皆でカチャーシーを踊る大変明るいものだった。想定していた式冒頭の祝辞と違って皆相当盛り上がっている終盤の出番、ということが会場でわかって急遽彼の仕事の内容などは割愛する。F先生や私の単身赴任を自虐ネタにして笑いをとることを心がけた。ある程度うけたのでは?ダシに使ったF先生には申し訳ない。最後の秘蔵のトルストイねたと天野周一氏の『亭主関白』ネタを一気に放出することとなった。もう引き出しには何もない。。。?



義一君、聖子さん、ご両家の皆様本日は誠におめでとうございます。私はただいまご紹介にあずかりました慶應義塾大学医学部の吉村でございます。私は前任地の九州大学生体防御医学研究所から5年ほど前に現在の慶應大学に異動しました。新郎の義一君とのつきあいは平成17年に九州大学に助教として赴任して以来ですのでかれこれ8年になります。このように長い付き合いですので、現在の上司の鈴木先生を差し置いてご紹介ご挨拶させていただくことをお許しください。

まず義一君の紹介をさせていただきます。彼は地元沖縄の、あの高校野球などで有名な興南高校の出身で、名古屋大学理学部を平成8年に卒業後さらに同大学院の松本邦弘教授のもとで研鑽を積んで平成13年にアメリカに留学しております。松本先生は大変立派なかたでここで研究のイロハを叩き込まれたそうです。アメリカでの生活が長く4年間を過ごしたあとに福岡に助教として赴任し平成21年に慶應に移りました。慶應で4年過ごしたはずですが、途中2年くらいアメリカのノースカロライナ大学の辻先生のところで研究を行っています。このように義一君は日本とアメリカをまたにかけて活躍している新進気鋭の将来が楽しみな若手研究者です。

 義一君は研究の上では常に完璧を目ざすタイプかと思われます。セミナーでも自分の出した実験データに自信度50%とか100%とか書いて話していたことが思い出されます。かなり自信のあるデータでも何度も再現性をとらないと発表しない。したがって極めて慎重な完璧主義者かと思います。おそらく女性についてもそうなんでしょう。これまでほとんど浮いた話を聞いたことがありません。慎重なのか、完璧を求めすぎたのか、彼の目にかなう女性はいないのではないかと密かに思っていました。それが一昨年ついに運命のひとと出会ったと周囲に吹聴してまわっていたそうですから、よほど聖子さんが理想と完全にマッチしていたのでしょう。昨日はじめて聖子さんにお会いして、非常にチャーミングで美しいお姿になるほどと納得しました。

仕事の上で義一君のすばらしいところは、大変なハードワーカーで若い人たちの手本となることももちろんですが、自分を抑えて人のために尽くせるという人物であるということです。九州大学時代に義一君はY君、Rさんという二人の中国人留学生の指導を引き受けてくれました。中国からの留学生が全部そうというわけではありませんが、この二人は日本では考えられないほど特殊でした。Rさんは医学部を出ているのですが全く実験をしない。はじめはさせたのですが全くできない。やるだけ無駄ということがわかって机について勉強だけさせることにしました。Y君は北京大学をでているので優秀だろうと期待していたのですが、きわめて普通と違う行動をとりやはり実験が全く進みませんでした。義一君はこの二人の指導をまかされた、というか押し付けられたわけですが、自分自身の実験の時間を大きく割いて、彼らの実験の主要な部分を自ら行い論文を完成させ、二人を無事に卒業させてくれました。義一君がいなければふたりがあばれて研究室はどうなっていたことかと思います。義一君はこのようにやっかいな仕事でも決して嫌な顔もせず自分を犠牲にして遂行できる。そんな律儀な男です。私は常々ラボを卒業して助教としてアカデミアで仕事を続ける者に対して、独立するまでは自分のために研究しない。ラボのために仕事をすることだ、それが結果的に自分のためになり早く独立する道である、と言って送り出しています。昨年秋より義一君は鈴木先生のラボで研究をはじめていますが、ぜひこのことをまた実践してもらいたいと思いますし、それができる男であると思います。

 このような、おおげさに言いますと自己犠牲の精神は夫婦間でも同じだろうと思います。かのロシアの文豪トルストイは愛とは惜しみなく与えるものである、と言っています。義一君と聖子さんでしたらきっとお互いに惜しみなく与えうる関係になれるのではないかと思います。我々も多くは皆そうでした。しかし、何故か時が経つとそうはいかなくなります。私事で恐縮ですが私ももう単身赴任が5年に及びまして、夫婦のありかたについて自問自答することが多くなってきました。愛は惜しみなく与えるのではなく惜しみなく奪う、いや奪われる、というふうになっているのではないか?と疑問に思うことがあります。結論はやっぱり夫婦はいっしょにいて喜びも悲しみも分かち合う、そういう姿勢が大事なのではないかと思います。ですので一緒にいるべきなんだろうと思います。そういえばそこに単身赴任1年生のF准教授もおられる。九州男児からすると女房が夫について来ないというのは女性の側の与える気持ちを疑いたくなりますね。しかしかくいう私も独り身の生活のつらさをこぼしても“あなたが好きでえらんだことでしょ!”のひとことで片付けられる。それなのになぜか給料は向こうに振りこまれその一部を送金していただく、なんてことになっています。全く理不尽な話です。もっとも愛は惜しみなく与えると言ったトルストイですが、その妻はソクラテス、モーツアルトの妻とともに「世界三大悪妻」に数えられています。現実は難しいものです。

 よって夫婦円満のためには夫は堪え難きを耐え、忍びがたきを忍ぶ必要があるかもしれません。私は福岡県の久留米市の出身ですが、久留米市のタウン誌にリセットというのがあります。この編集長が天野周一というかなのですが彼は『全国亭主関白協会』の会長でもあります。そこでは様々な夫婦円満の裏技、隠し技が披露されています。実はそもそもなぜ亭主関白と言われるかと言いますと関白とは、天皇に次ぐ2番目の位なわけです。家庭内ではカミさんが天皇であるから、「関白」とは奥様を助ける役目。また、「亭主」とは、茶道でお茶を振る舞う人、もてなす人という意味。 つまり、真の『亭主関白』とは、妻を助けもてな役目である。ということです。何もそこまで卑屈にならなくても、と思うのですが、この世の中のなかどうにも我慢ならない時がある。F先生も、もし堪忍袋の緒が切れそうなときはぜひ天野氏のブログを読んで自己研鑽をつんでいただきたいと思います。 我々崖っぷち夫婦の夫は女房の話をすると何故かふつふつと怒りがこみ上げてくる。褒めることができない。一方義一君は奥さんを褒め称え自慢して皆にみせびらかそうとする。ここが大きな違いなのだろうと思います。

なんだか最後はぼやきになって誰に対する祝辞かわからなくなってしまいました。義一君はすでに亭主関白を実践しているのでこれ以上説教がましいことは全く申し上げる必要がない。ぜひ末永くお幸せに。

本日は大変おめでとうございました。

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