2018年3/24 宮島先生の退任記念会の最後に祝辞を述べよと仰せつかった。以下原稿を記すが本番では上がってしまってこのとおりにしゃべれていない。だいぶすっとばしている。特に最後のキモであった「オチ」が理解されたかどうかかなり怪しい。このオチを考えるのに相当の時間を費やしたのだが。。
宮島先生、本日はご定年退任、誠におめでとうございます。どうかおすわり下さい。
宮島先生にこの祝賀会で何か話せと言われまして、もちろん二つ返事で承諾したのですが、いざ原稿を用意しようとして大変困難なことであることがわかりました。みなさんが聞いて面白いと思われるようなエピソードのようなものがほとんどないのですね。ご存知のように先生は真面目一方な方です。ネットで調べても私みたいにブログで醜態をさらけ出しているわけでもなくとにかく情報不足でした。さきほど学生さんたちにも色々なDNAXつながりの先生に聞いてみましたが皆「電圧を上げ過ぎて電気泳動のゲルが解けてしまった」(めちゃくちゃせっかち)ことしか知らない。”酒は強いらしく酔ったところをみたことがない”(夫人の話では一度蛇行運転をしたことがあるそう。私は左右逆走したことがありますが)とか、”見かけによらずスポーツはからっきしだめでkeystoneでもスキーをしたところをみたことがない”とか、そんな程度でした。しかたないので私の体験談を話すことになりますのでどうかご容赦ください。(後で野鳥観察が趣味であることを知らされる)
私にとりましては宮島先生はまさに恩人で、いつも頼りになる兄貴分でもあります。今日私がまがりなりにも教授として研究を続けられているのは先生のおかげと言って過言ではありません。文集にも書かせていただきましたが、私と先生とのおつきあいは25年前に先生にDNAX研究所に呼んでいただいた時に始まります。1993年の夏に原先生に伝授していただいたサブトラクション法でCISやOSMをクローニングでき、その成果で1995年に久留米大学分子生命科学研究所で独立のチャンスをいただきました。文集にはその頃、遺伝子ハンティングの時代が先生にとっても最もエキサイテングな時代ではなかったか、と書きましたが今日の先生のご講演を聴いてそれは間違いだと気がつきました。先生は今現在が最もエキサイテングで充実した日々を送られていることを知りました。
当時のDNAX研究所はまさに「科学者の楽園」だったと思います。先生や新井直子先生の教室には日本から多数の俊英たちが集まってきて切磋琢磨していた。やはり宮島先生にひとを引きつける魅力があったからことだろうと思います。私にとりましてもDNAX研究所の卒業生に加えていただいたおかげでここにご参集の多くの皆さんと知り合いになれた。これは何にも代え難い財産であり、このような機会を与えていただいた先生に深く感謝いたします。
ところが1994年に宮島先生は楽園であったDNAX研究所とパロアルトのプール付きの一軒家を打ち捨てて東京大学に戻られた。奥様の話であと半年待てば家の値段が倍になったそうですが(今では6倍だそう。これも先生のせっかち性分のせいか)。当時は日本の大学の設備や若手への支援体制が貧弱で、例えば捨てた牛乳瓶で実験をしているとか、大学院生は極貧のなか生活しているとかNHKで特集が組まれていました。先生の娘さんがその番組をみて「おとうさんなんでこんなところに行くの?」と聞かれたそうです。先生がなんと返答されたのか実は私は答えを聞いていなにので、もし覚えておいででしたらあとで伺いたいと思います。お嬢さんたちはもしかしたら帰りたくなかったのかもしれません。確かに東大に戻られた直後は、確か実験室ではないような部屋(図書館)をあてがわれて排水パイプを入れるために床のかさ上げ工事をされていました。さすがに戻られた当初は大変苦労されたのではないかと思います。しかしその後先生はCREST研究費を獲得されたり神奈川科学技術アカデミーのプロジェクトリーダーを併任されたりとどんどん研究を発展され活躍をされている。これはさすがだと思います。おそらく日本に戻る以上に大きな決断はサイトカイン造血免疫研究から肝臓の発生再生研究に大きく舵を切られたことだろうと思います。このあたりの事情は今日の特別講義でよくわかりました。ともかくそれまでサイトカインの分野でトップランナーだった先生が発生再生分野に新規参入され、しかも世界的な成果を挙げておられる。その勇気と実行力は賞賛に値すると思います。
さて宮島先生がご定年と聞いて私は相当の衝撃を受けました。もうそんな年なのかと。定年と臨終はよく似ているような気がします。どちらもその時が来るまでなるべく考えないようにして、来てから慌てる。私は今年還暦なのでだいたい5年ほど遅れて先生の後を追っています。先生がもう定年かと思うと自分ももうすぐなのかという気になります。まあお迎えが来るというわけではないのですが。経済学者のドラッカーも「これからの時代においては人生も仕事も65歳から再スタートするという事実を受け入れなければならない」とも言っています。宮島先生は定年を迎えられたとはいえますます意気軒昂、さらに研究にまい進されることと思います。(映画監督で有名なイングマール・)ベルイマンの言葉に次のようなものがあります。
「老年は山登りに似ている。登れば登るほど息切れするが、視野はますます広くなる。」
まさに先生はこれまでの経験に培われた広い視野を持って若い人たちを牽引していって下さるものと思います。ただ一言申し添えますと
「定年退職した名誉教授はちょうど美味しいカルピスに似ている、といわれます。その心はどちらも現役(原液)に水をさしすぎてはいけない」。
おあとがよろしいようで。
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